20260711(金)
エアドロップとハガキ①
▼事務所にルーキーが登場してから3か月がたった。当然のごとく、ジェネレーションギャップはある。先日も事務所内のそれぞれのiMac間でのデータのやりとりのために外付けハードディスクを渡すと、きょとんとしている二十歳の彼女。「ん? どうした?」と聞く五十八歳。二十歳いわく「エアドロップじゃダメですか?」。その使い方を教えてもらい試してみると、これがまぁとてつもなく便利! まさに〝エア〟に〝ドロップ〟するだけで、データのやりとりが完了してしまうだなんて。小学生の頃、バスの降車ボタンは早い者勝ちじゃないと知った時のような衝撃だった▼でも実は、これってジェネーレーションギャップでもなんでもない。おっさん世代でもエアドロップを使いこなしている人はたくさんいるし、ただ単に僕のデジタルへの興味がなさすぎるだけ。それでもなお、彼女がデジタルネイティブ世代であることは間違いない▼僕はといえば完全なるアナログ世代だ。昭和の香り残る高校生だった17歳の頃は、アナログな手作業でチューニングを合わせて、ラジオをよく聞いていた。世代的には『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞いている高校生が多かったけれど、当時の僕が大好きだったのはNHK-FMの『サウンドストリート』。月曜日から金曜日までの帯番組で、佐野元春、坂本龍一、山下達郎など、そうそうたるパーソナリティが、それぞれの好みに沿った音楽をかけて、リスナーからのハガキを読んでいた。なかでもとくに僕が好きだったのは、水曜日の甲斐よしひろ。『ヒーロー』『安奈』などで知られる甲斐バンドのボーカルである。トークがおもしろくて、彼が〝推す〟音楽に愛知県の田舎町に住む少年は強く惹かれた。尾崎豊をはじめて知ったのもこのラジオ番組で「ライブ中に興奮して高所から飛び降りて足を骨折した」との情報を甲斐さんから聞いた時には「東京にはすげぇやつがいる!」と興奮し、それまで関西の大学を目指していたのに、東京への進学へと方向転換。大学に受かったら、そのライブハウスは絶対に〝探検〟しに行こうと決めた▼そんなある日、なぜか甲斐さんあてにハガキを送ろうと思い立った。書きたいことがあったからか、それとも、聴いてるだけじゃなくて読まれたいと思ったのか。たぶん、後者だった気がする。夏だった。僕はチラシの裏側に何度か下書きして、ハガキを買い、こんな内容を甲斐よしひろの『サウンドストリート』宛に送った▼<この夏はじめてスイカを食べました。母が珍しがって買ってきてくれた種のないスイカでした。種のあるスイカと変わらず甘くておいしかったけど、庭に向かって種を飛ばせないのがおもしろくありませんでした。なにかと便利さが求められる時代。僕は種のないスイカなんて食べたくない>▼それから数週間後。ハガキを送ったことなんて忘れて、いちリスナーとして甲斐さんのトークに笑っていると、「えーー、次のハガキです。すごい17歳からお便りが届きました」との前フリから続けられたのは、種なしスイカの投書だった。僕の名前を読み上げてくれたのは、最初だったか、最後だったか。興奮して覚えていない。覚えているのは、いつもならハガキの内容への甲斐さんなりのコメントがあるのにそれはすっ飛ばされて曲がかかったこと。井上陽水の『リバーサイドホテル』だった▼有頂天という言葉を体感したのは、その時が人生初だったと思う。自分が書いたものが読まれて電波にのっていまこの時、全国に届けられているという興奮。家族には内緒だった。言いたいけど恥ずかしいから。じゃあ、学校ではどうかというと、甲斐さんの『サウンドストリート』は、『ビートたけしのオールナイトニッポン』ほどには高校生の定番ではなかった。なのに、ハンドボール部の朝練終わりで、ひと学年上の先輩がこう言った。「唐澤! 昨日、『サウンドストリート』でハガキ読まれただろ! すげぇな!」。「あざーす」かなんか言って余裕で受け流しているふうを装ったけれど、うれしくて、内心では有頂天っぷりさらに拍車がかかったことは言うまでもない▼そして、お昼休み。陽当たりのいい渡り廊下を歩いていると、ガラの悪い同級生がこちらに向かって直進してきた。僕が通っていた高校は進学校だったので普通科の生徒の9割以上が大学を目指していたが、彼は専門学校に行く予定だとの噂だった。10%以下の少数派である。そんな少数派がガラの悪い目つきで睨んでいる。からまれるのか? さらに近づいてくる。これまで一度もしゃべったことはないというのに、至近距離でこう言った。「唐澤くん、昨日の『サウンドストリート』でハガキ読まれたでしょ! すごいね!」。うれしかった。有頂天、ここに極まれり。以来、そのガラの悪い同級生と友だちとなるのは、昔の青春ドラマで殴り合いの末に親友になるのと同じぐらい自然な流れだった。殴り合ってないけど。そして彼のおかげで物語は続くのだった(唐澤和也)