20260706(日)
最低限の仕事ってなんだろう?

▼「逆転の一打」が〝最低限〟だなんて、野球って不思議だ。たとえば、7月4日のDeNA対阪神の試合。回は8回の表。横浜の開催試合だったから阪神は先行で、1対0で負けていた。しかも、7回の裏にノーアウト一塁三塁という大ピンチがおとずれるが、村上投手が「気迫」を映像化したような投球で0点に抑える。で、迎えた8回の表。ピンチの裏にチャンスありというのも、野球用語から一般的にも使われるようになった言葉だそうだけど、まさにそれ。坂本選手の先頭打者ヒットを皮切りに、ノーアウト一塁三塁というチャンスを作り1点を返して同点にする。その後、1アウト満塁で打席に立ったのが、佐藤輝明選手。彼の1打が「最低限の仕事」と呼ばれるものなのだけれど、放ったのは大きなレフトフライ。3塁走者がタッチアップして逆転に成功する▼ホームランならもっと点が入った。ヒットならアウトカウントが増えずに点が入って攻撃も続いた。だから、あのレフトフライを「最低限の仕事」と野球ファンは呼ぶ▼というわけで、プロ野球界隈での「最低限の仕事」という言葉は深い意味を持つものだけれど、シンプルに「プロとして、ひとまず最低限の仕事はクリアした」と解釈したとして。じゃあ、インタビューで「最低限の仕事」ってなんだろう?▼インタビューの仕事で担当編集者とやりとりする「とれ高」が、そうなのかなぁと思う。このコラムが平均して約1800字。書こうと思っているのは最低でも1500字だけれど、インタビュー終了時で、その分量ぴったりの「とれ高」では、原稿の幅がひろがらない。僕の体感では、最低でも倍の3000字。そこが、インタビューにおける「最低限」だと思っている▼でもですよ、と原稿を書きながら思う。「インタビューにおける最低限の仕事とは?」というお題に沿って書くならそうだけれど、「最低限の仕事をしよう!」と思ってインタビューをしようとしたことなんて、生涯で一度もない。言ってみれば、目指しているのは「最高の仕事」。まぁ、実際は気恥ずかしくて「よし、最高のインタビューをするぞぉ!」なんてことを思ったこともないのだけれど▼とはいえですよ、と原稿を進めて思い直す。いやいや、目指したものの最高の原稿なんてそうそう簡単には書けるもんでもない。そう考えると、冒頭の佐藤選手の外野フライは「最低限の仕事」とくくられる犠牲フライではあったけれど、阪神ファンとしては「最高の仕事」でもあった。なにせ、終盤の逆転の一打なのだから。実際、スポーツ紙の一部でも絶賛していた記者もいたほどだ。ならば、「最低限の仕事」という言葉には無限の可能性があって、「最高の仕事」になる場合もあるってことなのだろう▼実は、先日のとあるインタビューで、質問ひとつに対して19分も話し続けてくれたすごい人がいた。ひと息もつかずに、である。しかも、その19分間が驚くべきほどに完璧だった。つまり、これ以上ないほどの「とれ高」であり原稿もバッチリなものが書けたとは思うのだけれど、インタビューとしてはどうなんだろうと感じてしまう。だって、質問はひとつしかしてないのだから。でも、読者にそんなことは関係ないらしく喜んでもらえたりもしたし、少なくとも「最低限の仕事」はクリアできていた気がする▼さて、そろそろ、今週の結論だ。「最低限の仕事」って実は生活全般に使える万能ワードである。仕事が忙しくて洗濯物を干すのを忘れていたけど、それでもまだ明日着る「最低限のシャツはある」。仕事が忙しくて冷蔵庫が空でも、明日のお昼の「最低限の豆腐と卵はある」。最低限。そう思えている日は、意外とちゃんとやれている日なのかもしれない。最低限ってけっこう頼もしい(唐澤和也)