20250125(土)
雲のジュウザは油を塗っていた

▼「ふわふわと風にのり、もくもくと夏を彩る。雲なので雨の日もあるやもですが、そんな時こそ、皆様のご指導ご鞭撻のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます」。これは、オールドメディアの代表格・年賀状(紙)に綴った一文。そもそも、今年の目標漢字を「雲」にしたからこその文章なのだけれど、2025年も1か月がすぎようとしているいま、「雲」って意外といいかもしれないと感じている。しかし、なぜに「雲」か? 前段がある▼「長所と短所は紙一重」とは、キングオブ常套句のひとつだ。その割には自分のことを考えたことがなかったので、2024年の年末に己の紙一重を考察してみた結果「仕事に真面目」なところとなる。そんなこと自分で言うことじゃないとは承知しているが、脳内での自問自答なので許してほしい。若い頃は「真面目だね」と言われるのが嫌で嫌でしょうがなかったりもしたけれど、僕がインタビューで出会った人は生き方が破天荒でも仕事にだけは真面目な方ばかりだったので「仕事に真面目」はいいことだと感じるようになったのである。が、真面目がすぎるとよろしくない。昔、大滝秀治さんという名優が「つまらん! お前の話はつまらん!」と息子役の岸辺一徳さんに叫ぶCMがあった。直接的に製品を紹介するわけでもないのになぜか記憶に残るという意味ですさまじいCMだったけれど、自分の真面目がすぎているのではと自省すると、いつもこのCMを思い出す。「つまらん! お前の原稿はつまらん!」と意訳して。遊びごころというか、隙間というか、キチキチにならないというか。繰り返しだけれど、仕事に真面目はいい。だが、真面目すぎるのはよろしくない▼そういう意味で「風」を選んだ2023年はよかった。要所のタイミングで「いかん、いかん、真面目がすぎてるぞ」と「風」への回帰ができたからだ。まぁ、よく考えてみると、要所のタイミングで今年の目標漢字を思い出している時点で、かなりの真面目さが露見してしまっているが、そこはもう、正直と書いて「まさなお」と読む、仕事にもそれ以外でも超真面目だった唐澤正直の息子なのだから仕方がない。3度目になるが、仕事に真面目なのはいい。そこじゃなくて、テーマは真面目がすぎないこと。故に、2023年にならって「風」に近しい抽象的な目標を探して「雲」にたどり着いたというわけだ▼雲といえば、なんといっても「雲のジュウザ」だ。昭和の傑作漫画『北斗の拳』に登場するキャラクター。「雲のジュウザ」を知らない若い世代は漫喫等でチェックしていただくとして、ざっくり紹介すると「雲のジュウザ」は、あの拳王・ラオウですらその才を恐れた天才である。久しぶりに読みたくなって「雲のジュウザ」登場回の電子版を購入してしまったのだが、昭和から平成、そして令和と元号が変わったいま読んでもカッコよかった。とくに、己の命と引き換えにラオウの右腕を奪おうとするくだりと、ラオウの秘拳により重要な秘密を意志と関係なくしゃべっらされそうになっても「おれは雲! おれはおれの意志で動く!」と秘したまま死んでいくところも渋かった▼ところで、この原稿を書くためだけに『北斗の拳』を買ってしまったのは、はたして仕事に対して真面目どまりなのだろうか、それとも、真面目がすぎているのか。あるいは、単なる漫画好きか。たぶん、単なる漫画好きだと思うのだけれど、「雲」のように生きるのは、なんだかこういうことのような気がしている。こういうこと=ラオウの秘拳に負けない、ではなくて、より道をするということ。実は、1月になってから各種締切にずっと追われているのだけれど、ふっと「違う違う、雲!」と我にかえる瞬間がある。「雲!」と仕事をうっちゃって、映画『サンセット・サンライズ』を見に二子玉川へ流れちゃったりもして。雲だけに。実は、土曜日のいまこの時も「雲!」となったので、21時30分からの映画『アット・ザ・ベンチ』を予約しちゃったりもした。やっぱり、2025年は「雲」にしてよかった気がする。春になったら、バイクを買ってツーリングなんぞでも「雲」してみよう。言葉ってすごいなぁ。いや、僕が言葉に真面目なのかもしれない。でもまぁ、言葉にも真面目がすぎなければよしなのだと思う(唐澤和也)