20250607(土)
米子市のコジコジ
▼智頭町でのさわさわを経て、汽車に乗ったのが19時38分だった。地元の人は「智頭駅から乗るやつはね、電車じゃなくて汽車なんです」と言う。この町を訪れるようになった2年前から何度か同じ言葉を聞いたけれど、いまだによくわかっていない。だって、乗り込んだ列車は電車と変わらない見栄えだったから。さては智頭町の人たちにかつがれたかもとも思ったが、先週号でも活躍したチャットGTPによれば、正確には「気道車」らしい。汽車=蒸気機関車のイメージがあるけれど、気道車の燃料はディーゼル。電気は使っていないので、電車じゃないということのようだ▼電車だろうが、汽車だろうか、気道車だろうが、智頭町から米子市はけっこう遠い。同じ鳥取県内だというのに、遠い。智頭駅から鳥取駅までJR因美線で9駅、鳥取駅から特急スーパーまつかぜに乗り換えて4駅。所要時間は、新幹線だったら東京の品川駅から新大阪駅まで行ける約2時間20分。でも、今回の旅はだからこそいいのだ。今日中に米子まで辿り着ければそれでいいという気楽さ。仕事旅のような目的がない。バックパックから、おにぎり1個を取り出して列車内でいただく。うまし。智頭町の元気な女たちに手渡されたおにぎりは3個だ。晩ごはんは、残り2個のおにぎり中心にまわしていくことにする。米子駅着、21時55分。駅からホテルまで徒歩15分。途中のコンビニでサラダとカップの豚汁を買い、おにぎり2個を完食。やっぱり、うまし。阪神タイガースの戦況をチェックして1対0で勝ったと知った瞬間に寝落ちしていた▼『さくらももこ展』の感想をひとことであらわすのなら「間に合ってよかった」であった▼57歳の1月まで、『ちびまる子ちゃん』すらしっかりと見たことがなかった僕。ところが〝エッセイ〟というジャンルに興味を持ち、(そういえば、発売当時に話題になっていたな)ぐらいの軽い気持ちで読んだ『もものかんづめ』に衝撃を受けて、空前のさくらももこブームが到来する。そんな起点から考えると、わずか4か月後の鳥取県で『さくらももこ展』が見られているだなんて、間に合ってよかったとしか言いようがない。智頭町の田植え、および、さわさわのおかげだ▼衝撃的だったのは、描けて書けているということ。序章終章を含めて7章だての展示では、エッセイの章も含まれていた。漫画もすごくて、文章もすごいって、どういうことなんだろう。おまけに、作詞も手がけているし。しかも、本業である漫画にしても、『ちびまる子ちゃん』だけでなく、ナンセンスに本気で取り組んだという『神のちから』や、メルヘンな世界観ながらもやっぱりナンセンスでもあり、かつ、たまにぐっとくる『コジコジ』と、なんだかもう才能の底が見えない。『神のちからっ子新聞』では句も読んでいて「おじぎ草 おじぎしたしたまま 四時間半」に奥歯まで笑った▼そんななか、静かに心に残ったのは、さくらももこの仕事部屋の展示だった。すべてが手に届く範囲に置きたかったらしい1畳半ほどのコクピットのような狭い部屋。書棚の蔵書が気になって見てみるとほとんどが彼女の自著で、だからこそ数冊だけ置かれていて逆に目についたのが『ONE PIECE』であった。刹那、泣きそうになる。完全なる妄想なのだけれど、彼女の息子さんが好きだったことがきっかけで、ご自身も愛読するようになったのではないか。さくらももこは、2018年に亡くなられた。彼女のすごさに気付くのが遅いのにもほどがある自分を棚にあげてもいいのなら、いまさらの喪失感がはんぱない。だけど、個人ではなく、漫画というジャンルそのものはぐるぐると受け継がれているようで胸が熱くなったのだった▼ところが、人生はままならない。火曜日の逆襲が始まる。アタマの片隅でわかってはいてあえて無視していたのだけれど、タイミング的には春の繁忙期だ。土曜日曜月曜と鳥取ツアーに出てしまえば各種仕事がもれなくとどこおるはずで、案の定とどこおった。でも、それがどうした、である。人生なんてままならないからいいじゃないかとも思うし、まる子もこんなことを言っている。「宿題なんていつでもできるよ。それより今を大切にしなきゃ」。智頭町と米子市のをめぐる旅は、大切な今がずっと重なり続ける旅でもあった(唐澤和也)