20250606(金)
智頭町のさわさわ
▼5月18日の午後のことだった。鳥取県智頭町を訪れていた僕は「さわさわ」していた。田植えが終わったばかりのその場所は、泥水に咲くように植えられた小さな苗たちが美しい。「さわさわ」とは田植えの際の重要な農作業のひとつなのだが、米作農家の専門用語でもなければ、智頭町ならではの方言でもない。スラングという表現が一番近い気がする。遅らばせながら、最近デビューしたチャットGPTにスラングの意味を補足してもらうと「閉鎖性が特徴/スラングは特定の集団内で使われることが多く、外部の人には理解しづらい場合があります」とのこと。まさにそのとおり。「さわさわ」というスラングを使っていたのは、智頭町で「明日のお米」を作っているグループ限定だったのだから▼田植えは気軽さがよかった。子供も参加できる内容でガチなものではない。そもそも、本格的なやつは1週間前に済んでおり、この日の体験のために、意図的に空きスペースが作られていた。体験にはうってつけの適量作業だ。そんな田植えが終わって、妙にうまい鹿肉カレーライスを食べ終わった頃に「託します」と伊勢くんが言う。伊勢くんは「明日のお米」づくりのメンバーのひとりである。ちなみに、わざわざ鳥取空港まで迎えに来てくれた超理系の彼との車中の会話がおもしろくて、チャットGPTデビューのきっかけのひとつとなった経緯があるのだが、そんな彼から託されたのが「さわわさ棒」。正式名は知らない。さわさわする時に使う鍬のような棒状の農機具である。使い方は簡単で、植えられた苗の列と列の間に生えている雑草を取り去るよう、さわさわするだけ。って、だから、さわさわがわかんないですよね? ここはひとつ、ライターらしく外部の人にも理解しやすいよう、説明してみます▼水田のまだ幼き雑草は可視化できない。泥水の中で隠れてしぶとく息を潜めているから。なので、えぐい先割れスプーンのような鍬的なもの(=さわわさ棒)で掘り起こすことで、ぷかりと雑草が水面に顔を出したらOK。本当はその浮かんだ雑草をつまんで田んぼの外に捨てちゃえばさらにベターらしいが、でも、それは手間なので、さわさわしていくだけでも夏に盛大に生える雑草の量が格段に減って楽になるのだという▼ところで、そもそもなぜに智頭町だったのか。なにゆえ、さわさわを解説できるまでになったのか。きっかけはインタビューだった▼「おじいちゃん、泣いちゃったらしいですよ」と鈴子先生が言う。鈴子先生、本名・大元鈴子先生は鳥取大学の教授であり、僕にインタビュー概論という講義のチャンスを与えてくれた人だ。加えて「明日のお米」づくりのメンバーでもある。そんな鈴子先生が口にした「おじいちゃん」は、今年の受講生の祖父のことだった。僕の講義では自分が話を聞きたい人を決めて、テーマを立て、プロット(質問案)を考えてからインタビュー、文字起こしをして、まずは思うがままに書いてみる。原稿を添削する授業が2回ほどあり、都度ブラッシュアップした原稿の第3稿を完成版として、お話を聞かせてくれた人にプリントアウトしてプレゼントする……というのがゴール。今年は「明日のお米」づくりメンバーの村尾朋子さんと小林利佳さんも生徒として受講してくれた▼講義が始まってからまだ2年だし、はたして何人の生徒が、実際にプレゼントしているかどうかはわからない。でも、少なくともひとりは、尊敬する祖父と自分のやりとりを綴ったインタビューをプレゼントしてくれて、かつ、そのおじいちゃんが泣いちゃったらしいと聞かされた日には、こちらも泣きそうだった。インタビューってすげぇんだな、そう思った。彼らのインタビューは、なんというか、素敵なのだ。おじいちゃんを泣かした学生は祖父のことを心から尊敬しているやりとりが素敵だったし、インタビューが終わったあとで「じいちゃんも自慢話ができて楽しかった」と孫に礼を言う祖父も素敵だった。小林利佳さんの夫婦漫才のようなインタビューも素敵だったし、村尾朋子さんの「あしたとて」というプロジェクトの心臓ともいえる陶芸の師匠へのインタビューも素敵になるはず。彼女は現在、第3稿を鋭意執筆中である▼「いい村は女が元気だと聞いています」と2023年に綴ったのは、雑誌『PAPER LOGOS』でのことだった。智頭町の女性たちをインタビューさせてもらって、ふと思い出した映画『もののけ姫』のアシタカの言葉だ。2025年の智頭町もいい村で、つまり、女が元気だった。そして、5月18日の夜。元気な女たちに「おにぎり1個じゃ足んないでしょ!」と実家の母親のような口ぶりで持たされたおにぎり3個をバックパックに忍ばせて、僕は智頭町から米子市へと向かう汽車にゆられたのだった(唐澤和也)