20250510(土)
ハグにまつわる週末の考察
▼ハグが僕を追いかけてくる。3月22日のバナナに続いて。追いかけてくるのは、ロマンチックじゃないほうのハグだ。非言語コミニケーションにして友情などを伝える手段としてのハグ。はたして、自分には〝友情ハグ〟の経験があるのだろうか? そんなことを考えさせられたのは一本の映画をスクリーンで観たからだった▼映画のタイトルは『SING SING』。シンシンと読む。ニューヨークに実在する刑務所のお話で実話ベースである。以下の文章はネタバレを含むので、これから本作を見ようと思っている方は、また来週お会いできれば幸いです▼さて『SING SING』。観賞後にまず思い出されたのは、かつて少年院に収監されていたことのある知人との会話だった。彼いわく、出られてからしばらくはふつうの散歩に戸惑ったという。自由に歩けばいいのに、分かれ道で動けなくなってしまうらしい。一切の自由がない生活に慣れすぎて「右か左か選べなくてさぁ」と苦笑いを浮かべた彼の表情が忘れられない▼本作の主要キャストは、実在するニューヨークの刑務所にかつて収監されていた人たち。しかも、ひとりやふたりじゃなくて、なんと85%。なぜ、そんなことが実現できたのかと言えば、演劇を通じて更生をはかるRTAというプログラム出身者だから。つまり、〝ムショの本物感〟をかもしだすためのエキストラなどではなく、そもそも彼らが表現者だったからこそ実現した映画だ▼手ぶれ上等、かつ、クローズアップを多用するカメラは、まるで、その人たちの人生に寄り添うかのよう。おそらく、脚本執筆前後で、RTAメンバーへの丁寧な取材とインタビューを重ねたのだと思う。クローズアップされた人たちが語る自身の過去がいちいち胸に残る。彼らは「as himself 」と映画の最後でクレジットされており、本人が本人役を演じていた▼言葉と同等にあるいはそれ以上に雄弁になにかを語っていたのが、セリフなしの映像描写だ。サイレンが鳴るや看守に撃たれないように両腕をひろげ地面に突っ伏す主人公。タブレットほどの四角い隙間から手を伸ばし一瞬の自由を握りしめる主人公。シンシン刑務所は、塀と有刺鉄線と銃に囲まれており、自由なんてない。主人公を演じるのはRTA出身者ではなく、バリバリのプロフェッショナルアクター、コールマン・ドミンゴ。彼をはじめとする15%のキャストもまた、すさまじく素晴らしかった(マイク・マイク役のショーン・サン・ホセ! 演出家ブレント役のポール・レイシー!)▼ラストの描写は、クローズアップではなく傍観者のようなひいた視線で、主人公がやっと手に入れた「自由」を映しだす。けれど、本作の主人公は、僕の知人のようには戸惑わない。先に自由の身となっていたRTAの友が迎えにきてくれたからだ。そして、ハグである。ここで、ハグである。おっさんふたりの渾身のハグに僕のメガネは涙でくもりまくってスクリーンのふたりがよく見えなかった▼そして、その夜。映画の感動そのままに学芸大学の街を歩いていて、ふらりと寄ったコンビニで傑作サッカー漫画『アオアシ』最新刊におののく。いや別におののかなくてもよいのだが、発売されていたことを知らなかったのだ。購入して自宅に戻るや読み始めて193ページ。主人公たちが敵チームの猛攻にあって、ディフェンダー・冨樫が痛恨のファールを犯す。相手の狡猾なプレーにも思えたが審判のジャッジは無情にもPK。ゲームは最終盤であり、ここでのPKは致命的だった。呆然とする冨樫。すると、ゴールキーパーの秋山が彼をハグする。漫画なのでモノクロで表現されているはずなのに、脳内変換された見え感はまっ赤赤だった。そんな熱いハグののち、秋山はスーパーセーブを決めて、富樫とチームを救う▼さてさて今週は、まだまだハグが僕を追いかけてくるのだった。『SING SING』から2日後。今度は配信での映画だったけれど、草彅剛主演『新幹線大爆破』のラストシーンでのこと。車掌役・草薙剛と運転手役・のんが無理ゲーとも思われたミッションをクリアしてふたりだけで交わした会話ののち、カメラがひくと、駆け寄ってきた仲間たちにハグしまくられる。犯人像の浅さなど気にならないところがないでもない映画だったが、このシーンは静かに熱くて素晴らしかった▼さて、バックトゥ自分自身である。文章を綴りながらも、友情ハグ体験の記憶をたぐってみたが一切なかった。時性代もあるのだろう。もしもありえるとしたら青春と呼ばれる頃で、でもその時期は昭和だったもんなぁと思う。死ぬまでに一度ぐらいは熱き友情ハグを経験してみたいと願う令和の週末です(唐澤和也)