20250402(水)
偉そうなグリーンピース
▼おじさんふたりが熱く語り合っている。新幹線を待つ新横浜でのホームでのことだ。「なんでさ? 秋まではふつうにできていたのに春になるとできないんだよ!」「ほんとだね」。熱く語り合っているわけで、クイズではないのだけれど、僕の頭の中では「秋まではふつうにできていたのに春になるとできなくなるものなーんだ?」との問いがぐるぐるする。はて、なんだろう? が、悩む間もなく、おじさんAが言う。「バントは大事だろうに!」「ほんとだね」。ふたりは高校野球の贔屓のチームについて話していたのだった。新横浜駅でのことだったから、名門・横浜高校のことかもとも思ったが、さほど強くはない、けれど、ふたりの出身校とか地元の公立高校のような気がした。なんにせよ、いい歳をしても熱く語り合うおっさんたちは、好きだなぁと思う▼インタビューの席で「好きと嫌いではどちらが多い人生ですか?」と聞くことがある。「他者との比較ではなく、自分のなかで一番誇れる才能はなんですか?」という、世の才人に問い続けてきた質問ほどには頻出していないので分母は少ないが、ちょうど半分半分で、好きが多い派と嫌いが主だとにわかれる肌感がある。まるでブーメランのようにその問いが自分に戻ってきたのなら、僕が答えるのは「好きが圧勝の人生です」だ▼おそらくそれは、持って生まれたもの半分と仕事から得たものが半分。持って生まれたほうは、母親からの影響だ。先日も、ものすごく明るい声で、「いま終活をしてるから家中散らかって大変なの」と告げられた。まるで、「商店街の福引で熱海旅行が当たったのよ」とでも言っているかのような明るさだった。死の話ではあるというのに。つられて僕も笑ってしまう。母は完全に好きなもののほうが多い人生だ。ごはんが好き(食べるのも、作るのも)、本を読むのが好き、ラジオを聞くのが好き。優しすぎるから人付き合いで傷つくことも多いのに、でも、やっぱり人が好き。いまから20年ほど前もそうだった。中国からの技術研修生が、うちの母親がパートで働いている工場に来たのだけれど、その人が祖国へ帰るという時、手紙をもらったと僕に見せてくれた。「日本のお母さんと思っていいですか」。一生懸命に書かれた「お」は鏡で写したように反転した文字だったけれど、母はとってもうれしそうだった▼好きが圧勝の人生。そうなってしまったことのもう半分は、職業柄である。インタビューは取材対象者の魅力を探す。過去のインタビューを読む。オールドスクールな僕はインターネット普及後もWEB記事だけに頼らず、大宅文庫という雑誌の図書館へ行って(あるいは後輩に行ってもらって)集められるだけの過去記事をさかのぼり〝その人〟の言葉を追う。と、あら不思議。〝その人〟のことがどんどん気になっていく。失敗談をおおらかに語ったり、無名な頃に「お前は大丈夫だ」と背中を押してくれた人のことを何年経とうが感謝し続けていたり。気になるということは、好きになるということだ。ってことが、インタビュー現場じゃない普段の人間関係でもベースになっていて、基本的にはなから人を嫌うということができない。必然的に「好きが圧勝の人生」の半分が完成する▼ところで、偉そうなグリーンピースである。好きが圧勝とはいえ、嫌いな人やものや出来事はあるわけで、その筆頭がこれ。偉そうな人は嫌いだ。グリーンピースも嫌いだ。偉そうな人を好きな人はあんまりいないと思うのだけれど、僕らが子供の頃には学校給食に缶詰のグリーンピースがよく入っていて、中学生の頃には献立の食材の欄にグリーンピースが書かれているとピンクの蛍光ペンでマーキングしたものだった。ぐらい、嫌い。とうわけで、偉そうな人とグリーピースが嫌いで、偉そうなグリーンピースなんてものが食卓に鎮座したとしたら大っ嫌いです(唐澤和也)