20250216(日)
当たれぇ宝くじぃ!
▼スプーンが当たった。マット系のシルバーなスプーンだ。肢の部分には「CoCoICHIBANYA2025」と書かれている。なんでも、カレーショップのココイチによる「創業祭2025」企画で、俳優の山田裕貴さんが監修した「塩豚角煮ジンジャーカレー」を食べるとスピードクジが引けるらしい。景品は4種類の特製スプーン。ってことを知らずに食べた。で、引いたら当たった。絶妙にうれしかった。なんと言うか、うれしくて奥歯が笑う感じ。そして、笑いながらもふと思う。こんなにもうれしいのは、我が人生におけるクジ的なものの当選率が尋常じゃなく低いからではなかろうかと▼「当たれぇ、宝くじぃ!」とシャウトしたのは憂歌団の木村充揮さんだが、まっさきに思い浮かぶ我がハズレ人生歴がこれだ。ある時期、同曲を口ずさみながら年末ジャンボの売り場に並んでいたものだが、一切、まったく、ぜんぜん、かすりもしなかった。とはいえ、宝くじは当選確率が低いから仕方がないにしても、それ以外の記憶をまさぐってたどり着いたのは、高校生の時にフェス的なもののチケットが当たったぐらい。ほかは応募者全員プレゼント的なやつだけ。なんだか切なくなってきたので、記憶のタガを外して「当たり」というワードで脳内検索してみても食中毒すら当たったことがなかった。逆説的に高確率なハズレ人生なんだなぁとあきらめかけた頃にふと思い出した。あった。17歳の夏、僕はたしかに当たって同時にハズレてもいた▼その夏、僕は田舎道を自転車で疾走していた。冷たいものの食べすぎ飲みすぎで、いますぐにでもトイレに駆け込まなければ大惨事となりそうだったからだ。自宅まで戻っていたのでは間に合わない。いっしょに遊んでいた友達の家が近かったから、そこを目指していた。あとちょっと。それまでの狭い田舎道から広い道と交差して突っ切ろうとした瞬間、左方向から自動車が急に現れた。いや、逆だ。自動車のドライバーからすれば、急に自転車が現れた。両者の思いが交差する。「ひかれる!」「ひいちゃう!」。実際、けたたましい急ブレーキ音の後で自転車は車の下でぐちゃぐちゃになっている。でも、僕は圧倒的に無傷なまま、駆け寄ってきた人たちにこんなことをお願いするのだった。「トレイ貸してください」▼ドライバーは「危ねぇだろ!」と怒鳴ることもなく、ハンドルを握ったまま放心状態だった。無事にトイレを借りられて別の意味でことなきを得て安心した僕が呑気に聞いたところでは、学校の先生だったらしい。大の大人になったいまだったらわかる。自転車に乗っていた高校生の過失とはいえ、学校の先生が子どもをはねただなんて洒落にならない。「さーせん」ぐらいの気楽な感じで謝った僕に、その先生は役者みたいな大袈裟な顔で、でもなにも言わずにガシッと握手をしてきた。両方の手で。声にはならぬ、渾身のありがとうだった。(なんで、こっちが悪いのに感謝されるんだろう?)と17歳の僕は不思議だったけれど、いまだったら渾身の意味がわかる▼それにしてもなぜ無事だったのか。学校の先生が超安全運転をしてくれていたので、スピードが出ていなかったのがまず大きかった。でも、自転車は大破したわけで、一歩間違えば僕は死んでいた。結論を急げば、人間ってすごいという話で、ぶつかると思った瞬間から、カチ、カチ、カチ、カチと音がするように映像がコマ送りになったのだ。スローモーションというよりもコマ送り。僕からすると左側から車が来ていたので、左足が車の下に入ったら死ぬと直感する。カチ、カチ、カチ、カチというコマのひとつ目でだ。次のカチというコマで左足をぐるりと車のボンネットにのせる。次のカチで自転車を握っていた手を放し、左足でボンネットを蹴り上げて飛んだ。飛んだ先は田んぼ。圧倒的なゆるゆる感。加えて、当時の僕はハンドボール部に所属していて、左足で飛んで倒れ込みながらシュートを放ってくるりとまわって受け身をとる「倒れ込みシュート」をマスターしていたのも大きかった。最後のカチでくるりとまわる。無傷だった▼というわけで、17歳の僕は車に当たって、死からはハズレたのだった。もしも、車の運転手が先生じゃない人でもっとスピードを出していたら? もしも、衝突したのが右側からだったら? そう考えるとぞっとするしありがたくもある週末です(唐澤和也)