20250201(土)
雑談とインタビュー

▼毎度おなじみ気仙沼への旅がメインイベントだった今週。ただし、いままでの旅とは主語が違っており、「気仙沼漁師カレンダー」でも『海と生きる』でもなく、「ほぼ日」の旅であった。かの地と繋がりが深い「ほぼ日」なので少々意外だったのだけれど、漁師への取材はあまりないそうで、光栄にも僕が好きな漁師さんを紹介しつつ、いっしょに旅するという企画であった▼それにしても、主語が変わるとこんなにも違うものなのか。今回の企画は、メインの原稿を「ほぼ日」スタッフの方が書く。つまり、僕はガイドというかナビゲーターというか、インタビュアーやライターではない立ち位置。ふたりの漁師さんに逢いに行ったのだけれど、そのふたつともが雑談であり、いい意味で気楽で、肩の力も抜けまくりだった。逆に言うと、主語が「気仙沼漁師カレンダー」や『海と生きる』だった時は、インタビューであり、勝負だったのだと思う。肩の力なんてそれはもうゴリゴリに入っていたし▼ところで、スポーツや格闘技などの勝負事では「平常心」という言葉をよく見聞きする。我が阪神タイガースの前任監督であった岡田さんは「ふだんどおりにやったらええねん」と何度も口にされていた。野球ファンとしては、そのとおりだと思う。実際、岡田さんが取り戻した阪神タイガースの〝野球力〟は、ふだんどおりにやったからこそのもので、2023年にはセ・リーグ制覇どころか日本一にもなっている。でも、プレイヤーとしては「はて?」と立ち止まってしまう。もちろんプロ野球選手としてではなくライターとしてだけど、はたして僕のふだんどおりというのは「雑談」なのか「インタビュー」なのだろうかと▼そういえば、エンタメを主戦場としていた頃には「最強のインタビューは雑談である」などと後輩に熱く語っていた時期があった。星野源さんが『雑談集』という傑作書籍をリリースしたのが2014年で、不遜にも(やられた!)と悔しかった記憶があるので、少なくともその頃まではそう感じていたはず。でも、いつの間にかそのことを忘れてしまっていた▼令和のいまのインタビューはどうか。「最強のインタビューは雑談である」などのテーマのようなものはとくになく、ただただ毎回を懸命にやってきただけ。懸命といえば聞こえはいいけど、その結果のひとつとして、この末年年始で担当させてもらった2回のインタビューでは小さな小さな違和感が残ったりもしている。芸人さんの世界でいうところの「スベる」ほどではないし、プロとして最低限のレベルはクリアできていたとは思う。でも、妙に引っかかる違和感。「ほぼ日」つながりならば、最近の糸井重里さんがダーリンコラムで綴っていた「このままじゃこのままだと思った」という感覚にも近いものだと思う▼だからこそ、今回の気仙沼旅で違和感脱出へのヒントをもらえたような気がしている。それは、「雑談」も大切なのではという再確認。僕というライターのふだんどおりは「インタビュー」と「雑談」の2刀流が理想系なんじゃなかろうか。星野源さんや糸井重里さんは聞き手としてのキャラクターに作家性が含まれるから「雑談」だけでも成立するけれど、いちライターである僕はそれじゃダメだ。だから、目指せ2刀流的インタビューである▼さて、旅の主語が変われど変わらなかったのは、気仙沼の食の魅力だ。映画『サンセット・サンライズ』のなかで登場していた「どんこ汁」や「あざら」という郷土料理は、かれこれ10年ほど気仙沼には行かせてもらっているというのにどちらもまだ味わったことがなかった。郷土料理だからか、今回もお店では食べられなかったけれど、気仙沼港近くの鶴亀食堂でいただいた「カツオのハラミ定食」は絶品だった。シャケのハラミではなくカツオのそれ。気仙沼でのカツオの水揚げは6月がピークとのことで、その際に、ハラミ部分をキープしておいて冷凍保存しておくのだそう。シャケのハラミも大好物だけれど、カツオのそれは脂身感が低めになっており、ぎゅっとしてふわふわしている矛盾した食感もまた最高であった▼以上、余談という名の雑談でした。さらにどうでもいいことを重ねると、いまから二子玉川「109シネマズ」へ行ってこようと思う。なんと「109シネマズ」の毎月1日は「ファーストデイサービス」とかで料金が割引されることをはじめて知ったから。以上、雑談につぐ雑談でした(唐澤和也)