20241122(金)
忘却からの脱却

▼「うらやましい性格だね」。昔、付き合っていた女性に言われたことがある。既にふたりで見たことのあった映画を、レンタルビデオショップで僕が借りるので(よっぽど好きなんだなぁ)と思っていたら、物語が中盤に差しかかった頃に「あれ? なんか見たことある」と、ほざいたそうだ。誰が? 僕が。(いやいやいや、見たことあるやつだから! というか、お気に入りだったんじゃないの!)との本音をオブラートに包んで「うらやましい性格だね」と言ってくれたのだった▼たしかに僕は、映画におけるこの手の記憶力が風前の灯だ。「おもしろかった!」という感覚だけを覚えていて、物語の展開やなんだかんだをほぼ忘れてしまっていることも多い。不思議なことに、誰かがしゃべった言葉の記憶については、仕事でもプライベートでも、かなりいいほうだと思う。もちろん、30代までのような「1時間ぐらいのインタビューで、取材当日に書くのならテープ起こしせずともほぼ覚えてるっす」という博覧強記ぶりは過去の栄光だが、それでも〝会話記憶力偏差値〟があったら平均の50はゆうに超えられるはずだ▼心もとないのは、エンタメの記憶だ。先述の映画はもちろん、読書なんてもっとやばい。たとえば、高校生の頃に夢中になった村上春樹初期作品『風の歌を訊け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』なんて「超おもしろかった!」との感覚がいまだに残る3部作だけれど、どれがどれだかどころか、「どれがどれだかは別にいいからどこがおもしろかったのか教えてください」と聞かれても「だから……超おもしろかったっす」としか答えられない▼村上春樹作品の例は40年以上も前の読書体験だからとのフォローもあるかもだが、6年ほど前に「超おもしろかった!」『ミライミライ』(古川日出男著)ですら「もしも、北海道がロシアに占領・統治されていたら?という世界線で描かれるスリリングな物語」ぐらいしか覚えておらず、およそライターがつづる文章とはいえやしない▼なんてことを、今週のアタマから書き始めていた。オチというかまとめというか、本稿の目指すところもなんとなくあった。ところが、木曜日の昨日、ふと見た動画で記憶についての衝撃的なエピソードと出会ってしまう▼糸井重里さんと阿川佐和子さんの対談で、阿川さんが和田誠さんの思い出を回想する。和田誠さんの奥様(平野レミさんだ)が、ある会のことを「どうだった?」と聞く。和田さんは「おもしろかった」と答える。レミさんは「なにがどうおもしろかったの?」「たとえば、誰のどんな話がおもしろかったの?」と問いを重ねると「よく覚えていないけど、とにかくおもしろかった」と和田さんは答えたのだという。糸井さんと阿川さんはそのエピソードを「最高!」と共感していた。パソコンでその対談を見ていた僕も、「最高!」と大共感だった▼たとえば、「鶴瓶噺」という笑福亭鶴瓶さんのオリジナル話芸がある。2時間強、ノンストップでありとあらゆる〝本当にあったおもしろいこと〟が語られるのだけれど、僕は大笑いするくせに、どの話に一番笑ったかなどの記憶が一切ないのだ。だけど、「よく覚えていないけど、とにかくおもしろかった」ことだけは覚えている。さらに、インタビューアーとしてはどうかと思いつつ、そのままの感想を鶴瓶さん本人にぶつけたこともある。鶴瓶さんは、なんだかうれしそうに「鶴瓶噺はそれでええねん」と言ってくれたのだった▼というわけで、週アタマに書こうと思っていた展開からは、大幅に軌道修正することにする。結論として、忘却からの脱却は目指さない。忘却からの脱却を目指すというよりも「その時感じたことを書いて残しておきたい」ということ。実は、2022年9月19日から、映画やドラマのレビューサイトに簡単な感想を書き始めている。最初は、まさに忘却防止のためだったのだけれど、そんなことよりも、単純にうれしかったのは自分のレビューに対して「いいね」的なリアクションがあったことだ。ペンネームで書いていることが、さらにうれしさを増すポイントでもあった。書くことで対価を求めるわけではなく、書くことそのものに集中して楽しめるというピュアネス。200文字そこそこの映画の感想は、折りにつけて読み返すのもちょっと楽しい(唐澤和也)