20241027(日)
ウォーク・ドント・ラン
▼人生最大の痛みのおかげで訪れた人生最大の変化は歩くということだった。自宅から事務所までの片道約25分。自転車というのは移動手段という意味ではすぐれているけど(なにしろ速い!)、情緒という意味ではだんぜん「歩く」ですね。たかだかこの1か月の間でも、学芸大学の高架下に小さくていい感じの店が増えていることに気づけたり、豚の散歩をしている若者とすれ違ったり。あ、いちおう念を押すと、犬じゃなくて豚です。二度見して確かめたけれどちっちゃい豚で、気になって翌日調べてみると「マイクロブタ」を愛でている人がけっこういるとのこと。マイクロの定義は成長しても40キロ以下らしくその重さだとなかなかではと想像したけれど、でもたしかにそのマイクロなブタは独特のかわいらさがあった▼独特のかわいらしさと言えば、徒歩通勤中の耳にふいに飛び込んできたのは、自宅からほど近くの仲のよいおばさん同士の談笑だった。ふたりの前を歩いて通りすぎた僕の背中越しに届いた言葉が「私はね、アンパンを食べるために生きてるのよ!」。怒ったトーンではなく、青年の主張のようなまっすぐさで、おぼさんは叫んでいた。よっぽど好きなのだろう、アンパンが。その独特でかわいらしい叫びに背中ごしにほくそ笑みながら、気仙沼で尋常じゃなくおいしいアンパンをご馳走になったことを思い出した▼不思議なことに、歩いているといろんなことを思い出す。令和6年秋の東京は、それはもういろんなところで工事をしているのだけれど、昨夜突然に思い出した昔の青い記憶は、まだライターになる前の劇団の裏方をしていた頃のものだった。「GM」とスケジュール帳にメモしていたのは「ガードマン」の略称であり、僕のその頃の生活の糧となる仕事であった▼昨今のGM業界はどうだかわからないけれど、当時は交通費別途支給で、原付バイクに乗っていた僕は、もちろん電車で現場に通っているテイで交通費分も稼いでいた。1日1万円ぐらいだった気がする。金銭的にも悪くなかったし、なにより、シフトが組みやすかったのがありがたかった。前日に現場の有無を聞いていた記憶がある。劇団時代の僕は、アイスコーヒーが尋常じゃなくうまかったイタリアンのお店のランチや、インド人が経営する本格的カレーショップや、深夜に強盗に入られたこともあるレンタルビデオ屋のバイトなどを経験していたが、一番印象に残っているのがGMのバイトだった▼なぜ、記憶に深く残っているのかといえば、ある現場で稀有な経験をさせてもらったからだ。東京・代々木駅近くの夜の現場だったと思う。僕がGMの棒を振っていると、前職の先輩たち数人がこちらに歩いてきた。あちらは気づいていない。3か月で辞めてしまった職場だったけど、その偶然がうれしくて、僕のほうから「お久しぶりです!」と声をかけた。うれしさのあまり小走りで、満額の笑顔で。ところが、先輩たちが浮かべたのは蔑みの視線であった。(えーーー!? 好きなことしたいからって会社やめたくせに、こんなに落ちぶれてたの!?)という視線▼当時の僕はその視線に傷ついたのだろうか? いや、たぶん平気だったと思う。たしかに生活はカツカツだったし、自分の才能のなさにへこみまくっていた時期だったけれど「落ちぶれた」だなんてこれっぽちも感じていなかったから。その後、『負け犬伝説』という書籍のあとがきでも書いたけれど、「勝ち負けは自分で決めるものだ」と自分の辞書に刻めたのは、その夜の出来事のおかげだ▼そういう経験があるからなのか、僕はいまでもGMの人たちに会釈することを欠かさない。あからさまに「所詮アルバイトっすから」と流して仕事している人はどうかとも思うがそういう人にだって会釈だけはするし、頑張っている人には「ご苦労様です」と声をかける。生活のためにGMをしている人もいるだろうけれど、柊人いわくの「いつか好きなことだけで稼ぐまで」な人もいるはずで、そんなご同輩には「ウォーク・ドント・ランでいきましょう」と心の中でエールを送ったりもする。訳すと「急がばまわれ」らしいけど、個人的な語感はちょっと違くて、僕の意訳は「人生、走れない時もありますよね。でも歩いていれば前には進むらいしですよ?」だったりする(唐澤和也)