20240921(土)風が吹かなければ痛くはない

▼最初にウニを食べたい人はすごいとか、カレーパンを最初に考えた人はすごいとか、誰にだって「最初の天才」というものがあるものだ。いまの僕が考える最初の天才は「痛風」という病名を冠した人だ。いやはや、本当に風が吹くだけで激痛でした。「でした」ということは、そうなのです。ワタクシ、痛風を患ってしまったのでした。このコラムのようなものを1週休ませてもらったのも、その激痛が故だったのでした▼きっかけは、LOGOSのキャンプ場撮影でのこと。それとは別件だけれど、某プロジェクト中心の仕事モードだった春から4か月。机にへばりつくような生活を続けた4か月。極度の運動不足から一転、その日はキャンプ場を2万歩ほど歩くという仕事だった。先週の火曜日のことだ。とはいえ、撮影にあわせて移動のために歩くだけで重いものを運ぶのは若手スタッフがやってくれるから、決して大変な仕事内容ではなかった。なのに、あけて翌日。1泊2日の仕事だったので、翌日も前日同様にそこそこ履き慣れたトレッキングシューズで歩いていると、左足の甲に違和感を感じてしまう。まるで、靴ズレのような違和感で、でも、靴下まで脱いでみても外傷はなし。(これが老いってやつか?)と若干へこみながら東京へと戻ったのだった▼東京に戻った翌日の木曜日。朝起きて体重を支えようとすると、左足の甲に激痛が走った。見てみると、冗談のようにまん丸に腫れている。(キャンプ場でアブに刺されてたのか?)と疑うも外傷も痒みもなし。なによりアブに刺されて激痛だなんて聞いたことがない。(もしかして、疲労骨折?)としか思いつかず(完全に老いたな、俺は)とさらにへこみながらも、事務所へ向かおうとしたが、この痛みではいつもの自転車に乗れそうもない。じゃあ、歩きますか。けれど、腫れあがった左足はいつものスニーカーなんて、とても無理。というか、靴下が痛くてはけない。ビッグサイズのサンダルを履いて歩きだして、自分でも驚いた。こいつは、思った以上に重症だ。右足を前にだして、ゆーーーーーーーーっくり左足をだして、ゆーーーーーーーーっくり地面に着けないと激痛で悲鳴をあげそうになる。結局、いつもなら10分もかからないバス停までを40分ほどかけてたどり着くも、こういう時のあるあるで、あとちょっとでバスが出てしまい、次のバスを待って事務所に到着したのは1時間半後だった。ちなみに、ふだんの自転車ならば5分強でたどり着く距離感である▼その木曜日には、重要な打ち合わせが池尻大橋であり、タクシーで移動。朝のノロノロにビビって時間に余裕を持ち、早く着きすぎたのでドラッグストアで足首用のサポーターと、ロキソニンのEXテープを購入。ついでに、ダメ元で「松葉杖って売ってますか?」と聞いてみた。店員さん、失笑。そりゃそうだ。ドラッグストアに松葉杖が売っているわけがない。でも、「松葉杖」と口にしたおかげで、ふと思いつき、コンビニでビニール傘を2本ゲット。松葉杖ではないが、杖にはなるので、幾分移動が楽になった▼そして、金曜日。痛みも腫れも引かないが、これまた重要な取材があり、病院には行けず。土曜日もそう。父の3回忌で帰省せねばだったのだ。ビニール傘2本の杖、大活躍。だがしかし、エスカレーターが怖い。いままでの体感速度と、いまの自分の限界速度が違いすぎて、内心で(えいや!)とか言いながら乗る、一か八か感だった。まさか、エスカレーターに乗るのが清水の舞台から飛び降りる的感覚になる日がこようとは。たぶん、足の速いナメクジには負ける速度、かつ裸足で、父の墓前へ。合掌。月日が経つのは速いなぁとベタなことを想いつつ、日曜日、月曜日を東京でやりすごし、連休が明けた火曜日。ようやく行けた、病院で整形外科の先生が言った。「典型的な痛風ですね」。え? キャンプ場での2万歩がきっかけ=原因じゃなかったのね。「痛風」という天才ネーミングすぎる病名の衝撃におののきつつも、老いではなかったことにちょっぴり安心するという複雑な心境をないまぜに、次週へ続きます(唐澤和也)