20240908(日)
夏の忘れもの
▼なにかを忘れている気がしたのは、8月31日土曜日だった。夏が終わるからそんなことを想ったのか、9月3日が入稿日だった某大型プロジェクトが8月31日にはめどが立っていたからなのか。思い出した忘れものは、友達に映画のチケットをもらっていたということ。有効期限ギリギリのギリで、翌日の9月1日日曜日に映画といえばこの街=二子玉川で鑑賞したのは、『THE FIRST SLUM DUNK』だった▼これが5回目の映画館での『THE FIRST SLUM DUNK』。DVDも購入しちゃったからそれで見た回数も含めるとえらい数になるけど、映画館ではそのカウントとなる。けれど、5回目にしてはじめて『THE FIRST SLUM DUNK』を素直に見られた気がしている。僕は自分のことをかなりフラットなタイプだとずっと思ってきたのだけれど、「先入観」や「バイアス」みたいなのはやっぱりあって、『THE FIRST SLUM DUNK』は宮城リョータが主人公だというのに、『週刊少年ジャンプ』連載からコミックスまで、ずうっと桜木花道の成長と失敗と爆発と負傷と勝利を見続けた身からすると、宮城リョータ=リョーちんだった。リョーちんとは花道が宮城を呼ぶ時の名前なのだが、つまりはそういうこと。この作品の主人公は、僕にとっては桜木花道であり続けていたのだなぁと5回目の映画館でようやくわかったのである▼ということは、5回目の映画館鑑賞にして、ようやく宮城リョータを主人公として見ることができたのだった。となると、どうなるか? 号泣だった▼この映画は見る度に落涙ポイントが異なるのも特徴だと思うのだけれど、宮城リョータを主人公として見た今回は、やっぱり、母にしたためた手紙がやばかった。リョータは小学生の頃に大好きな兄を海の事故で失っているのだけれど、ということは、母は愛する長男を失っているということ。そんな母親は、リョータが兄と同様にバスケットを続けることを一度も否定しなかった。それをリョータは感謝の言葉でつづる。兄を想い出すから嫌だっただろうに、続けさせてくれてありがとうと。母親はその手紙を読んで、広島県で開催されているインターハイ会場へと旅立ち、おそらくは久しぶりに次男の活躍を生観戦する。お母さんはどんな想いで応援したのだろう。小学生バスケでは頼りなかった次男が、インターハイで、しかも王者・山王工業と対峙している。次男は背がちっちゃいままだが、類いなまれなるクイックネスを手に入れていた。「行け……」。母は小さく強い声で言う。応えるリョータ。山王の強豪選手ふたりをいまにも倒れそうな地を這うドリブルで抜き去る。号泣だった▼夏の忘れものをすんでのところで防げたおかげで、思い至ったり思い出したりした。ひとつは、やっぱり、自分を過信してはいけないということ。かなりフラットなタイプだと思っていたのは、そうありたいと願っていたからだ。先入観や偏見というやつが本当に嫌いで、それに伴う差別というやつも超がつくほどに苦手で、そういうところからはなるべく遠いところで生きていたいと願ってきた。でも、偏見とはいわないまでも、「薄皮一枚の先入観」はやっぱり僕にもあって、それはカタカナでいうと「バイアス」というやつで、『THE FIRST SLUM DUNK』を5回目にしてはじめてフラットに見られたという気づきは決して悪いことじゃないはずだ▼もうひとつは思い出したことなのだが、そういえば僕も母親に手紙のようなものを書いたことがあった。はじめての単行本の時だから32歳の時で、リョータに比ベればずいぶんと大人になってからだけど、その単行本に僕はこう書いてから母にその一冊をプレゼントした。「生んでくれてありがとう」。想い出すとちょっぴり恥ずかしいけれど、11月末発売予定の某大型プロジェクトも書籍だから、またなにか書いてみようかな。いまだったらなんと書くのだろう。「阪神をいっしょに応援してくれてありがとう」。いや、違う。そういうことじゃない。的外れと言えば、なぜかいま思ったのは、「宮城リョータがバスケの才ではなく音楽のセンスを与えられていたのなら、手にしていたのはマイクでラッパーになっていたはずだ」というわりとどうでもいいことだった。夏は終わる。そして、虎にとっての勝負の秋がやってくる(唐澤和也)