20240705(金)
ネパールの学校と日本の給食③(再録)

▼後日談と言えば、こんなエピソードがある。日本に帰ってから知ったのだが、「日本米が用意されてる!」というメモは「!」マークで済ませてよいほどの軽いものではなかった。ネパールで、簡単に日本米が用意できるはずもなく、労を惜しまず、事前に準備してくれていた人たちがいた。その人たちの名は、ライくんの妹のサテさんと小川真以さん。小川さんはNGO団体に所属しており、ネパールへ赴任してから8年が経っている。「水は超貴重」のメモも、じゃがいもの皮をむきながら彼女が教えてくれたネパールの実情だった。この国では、日本のように蛇口をひねれば水がでるわけではない。高校生の頃に『ここがヘンだよ日本人』というテレビ番組を見て以来、日本以外の価値観を知りたいと願い続けている彼女が言う▼「ネパールが抱える課題を改善していくことは、本当に大変だなぁとこの8年間で実感しています。たとえば、保健。日本では健康保険が当たり前なものですが、ネパールでは〝保険〟以前に〝保健〟にまつわる知識が浸透していない。だから、出産する際にその辺に落ちているガラス瓶のかけらでへその緒を切ったりしてしまう。それで尊い命が失われたりもする。だから、医師ではないけれど医療知識とスキルを持つスタッフのいるヘルスポストと呼ばれる施設を作っているのですが、実は、教育の課題がネックになる場合があります。教育を受けていない高齢者の方は、薬の処方箋すら忘れてしまうんです。その人が農家の方だったら、ご自身の専門分野である農業の知識は、それはもうプロフェッショナルなのですが、教育的な意味での学ぶという経験がない。『このお薬を朝昼晩に1粒ずつ飲んでね』と伝えても、教わってそれを実践するという学習経験がないから、すぐに忘れてしまって。だから、学校を作ったライくんの活動は全力で応援したいんです。ライくんは『僕の世代だけではネパールは変わらない』と言っているんですけど、次の世代、次の次の世代になってしまったとしても、もしこの国がいい方向に変わるとすれば、それは教育の力がとても大切だったと証明できると思いますから」▼ネパールの旅は、自分語りをする人が極端に少ない旅でもあった。語られる主語は「ネパール」や「YouMe School(夢スクール)」や「ライくん」ばかり。サテさんはこの国ではエリートである銀行員をやめてまで兄の夢を手伝い、「お兄ちゃんの歩き方が好き。小さい頃からみんなを引っ張って、背中にいろいろしょってまっすぐに歩いていたんです」と目を輝かせて教えてくれた。タバコをくれと身振りで合図してきたバスダイさんというライくんの従兄弟とはその仕草以上の会話はなかったけれど、「バスダイがいなかったら『YouMe School』はできていない。資材調達から建設時の現場監督まで、全部を仕切ってくれたから。時には憎まれ役に徹して」とのサテさんの言葉にその場から姿を消した。彼女の言葉にその労が報われたのか、誰にも見えない場所で、ひとり号泣していたらしい▼「and recipe」のふたりは、今度は日本の縁日のようなお祭的イベントを企画して(山田くんは焼き鳥の屋台をだしたいらしい)、「YouMe School」の生徒だけではなく、地域の人にも会いに行く旅をしてみたいそうだ。カメラマンの関くんは「もう、じゃんけんはしない」と言ってはいるけれど、次の旅でも彼しか撮れない笑顔を収めるのだろう。そして、僕はメモを残し続ける。(唐澤和也)(初出「and NEPAL」)