20240607(金)
恋とサンバとフットサル①(再録)

▼バックパックには、ちょっとしか荷物を入れないと決めていた。 なにせ、ふだんの僕のバックパック(タウン用)は、ひくぐらい重い。旅立ちの前、試しに体重計に乗せてみたら8.9キロという恐ろしい数字が現れて、とりあえず見なかったことにした。というわけで、カリマーの登山用バックパックに詰め込んだのは、『地球の歩きかた ブラジル編』とノートにペンとICレコーダー、あとはお茶と財布ぐらいなもの。軽い。気のせいか、心も軽くなる。「and台湾」でも感じた、仕事なのに遊びのような感覚。1ミリぐらいは浮いているんじゃないかというふわふわ感で、いざブラジルへと向かう▼だがしかし、近くて遠い今回のブラジルは、電車の乗り換えやけに多し、だった▼今回のブラジル行は、ALL電車NO飛行機で、目指すは日本のブラジルの誉れ高き群馬県の大泉町。まずは、地元の武蔵小山から東急目黒線で目黒へ。山の手線で日暮里、日暮里からは常磐線で北千住を目指す。北千住からは東武特急りょうもう3号に乗り換えて館林へ。そしてようやく東武小泉線に乗れば、旅の目的地である「西小泉」へとたどり着く。トータル2時間19分のショートトリップ。新幹線ならば1本で、品川から新大阪まで行けたりする▼土曜日だと言うのに、スーツに革靴で働いている人がいる。土曜日だからこそ、トレッキングブーツで登山へ向かう人がいる。我が足元のビーサンは、自由の象徴だ。たとえばアウトドアでの仕事が終わるやビーサンにはきかえてリラックスする仲間を見ているうちに絶対欲しくなり、西表島の旅で手に入れたお気に入りで、僕は日本のブラジルを目指すことにしていた▼武蔵小山からアスファルトの道を踏んでいたそれは、最後の乗り換えポイントである東武小泉線に乗るまでは孤独だった。そんなマイビーサンに仲間ができたのは、館林駅から。映画『800万の死にざま』の頃のアンディ・ガルシアのような色っぽい外国人男子が、向かいの席に座るや眠りについたのだが、足元にはぶらりとビーサンがつっかけられていた。ブラジル人だろうか。プエルトリカンかもしれない。人口約4万人の大泉町は、そのうちの10%ほどがブラジル人という説もあり、そのほかにもペルーの方などかなりのミクスチャー感溢れるユニークな町だという。はたして、アンディは、僕と同じ西小泉駅に着くや目を覚まし、大泉の雑踏へと消えていった。さらば、ビーサンの友よ。僕は心の中で手を振り、人生初ブラジルへの1歩を踏み出す。ビーサンもわくわくしている▼僕の唯一のブラジルつながりである友人の内田英治は、ブラジルで生まれ、ニューヨークで焼き芋を売るなどしたのち映画監督となり『下衆の愛』という傑作を撮ったが、北海道から大泉に移り31年目なタクシードライバーはこんなことを言う。「俺が移住してきた頃はブラジル人なんて全然いなかった。それが、工場ができてから一気に増えたんだ。でもね、国籍なんて関係ないよ。日本人にだっていい人もいれば悪い人もいるように、ブラジルの人だっていい人もいれば、悪い人もいる。ただ、荒いね、ブラジルの人は車の運転が。いい人も悪い人もみんな平等に運転が荒い。ブラジルの道って広いのかな?」▼日本のブラジルである大泉町では、朝食、昼食、夕食と、それはまぁ肉LOVERSなブラジル流を堪能することになる。いやはや、行きの電車でチラ見した地球の歩きかたで得た情報以上に、肉を食べますね、ブラジルの人は。もちろん、豆料理やデザートなどにもブラジル流逸品が充実しているけど、肉づくし、あるいは肉祭り感がハンパない。たとえば夕食のお店では、手羽元、チョリソー、ハラミ、いちぼ、牛バラなどのシュラスコ料理が食べ放題で楽しめる。そのお店の各テーブルには、表が「YES」裏が「NO」のコースターがあったのだが、NOを向けると休憩ができるというシステムを知らなかった僕たちは「NO=おしまい」と勘違いし、ひたすら食べ続けた。別にサッカー日本代表のように日の丸を背負っているわけでもないのに「そのお肉、残しては日本の恥」との妙な義務感があったのだった(唐澤和也)(初出「and BLASIL?」