20240419(金)
依頼されていないあとがき

▼あとがきが好きだ。単行本のさいごなどに掲載されているあれが。しかも、読むのではなく書くのが。とはいえ、単行本のあとがきは、誰かに依頼されないことには書きたくても書けやしない。なので、僕の場合は、自分が著者である単行本や、自身が編集長である雑誌で書けることがたまにあるぐらい。そこで、こっそりと。あるところで、ひっそりと。誰にも依頼されていないのにあとがき的に書いている映画の感想みたいな文章がある。たとえば、先のアカデミー賞で脚色賞を受賞した話題作『アメリカン・フィクション』という映画だとこんな感じ▼シカゴを旅した時、球場の近くで黒人にからまれたことがある。ガタイがよく目つきが悪く、はっきりと怖かった。靴をみがいてやる、だから金をよこせ。そんなやりとり。ビビって小銭をわたすと、おまけだ、かなんか言ってその黒人がラップを披露してくれた。DJなんているわけもなく、アカペラのフリースタイルで/これがまぁ、ヘタくそだった。僕は笑ってはいけない笑ってはいけない笑ったら殺されるかもと心の中で繰り返しつつ、学んだ。黒人全員がラップがうまいわけじゃないと/笑ってはいけなくはない本作。こんなの酒飲みながらでも書けるよと、いかにもなものを書いた黒人小説家。シニカルで、ひとこともふたことも多い彼は、肌の色など関係なく嫌なやつだ。でも、憎めない。わりと冒頭の姉との車中の会話でそれが伝わる。そんな彼が、なぜかとんとんと進む出版化の話を阻止しようと、ありえないタイトルを提案をして、でも通ってしまった時の絶望。おでこを本かなんかにつけてのその絶望表現に爆笑してしまう。その愛らしさに。でも、笑っちゃうだけじゃないのが、本作の魅力だ。姉の遺書のユーモア、リアルってなんなんだよという問題提起、そして、肌の色=属性へのラベリング/余談だけれど、シカゴのラップが下手くそな黒人が磨いてくれたのは、スニーカーだった。つまり、磨く必要なんてなく、実際、彼は磨いたふりをしただけ。なぜ、いきなり金を出せと脅さず、靴を磨くからと足したのかと想像すると、めちゃくちゃ怖かった彼のことが、ちょっぴり愛らしく思えてくる▼なにせ、誰にも依頼されていないし、こっそりだし、ひっそりだし、好き勝手に書けてるのが楽しい。決めごとはひとつだけ。あらすじオンリーにだけはしないってこと。ヴィム・ベンダース監督&役所広司さん主演の『PERFECT DAYS』という映画だとこんな感じ▼平山さんは、東京の簡素なアパートに住んでいる。独身のようだ。平山さんは、トイレ掃除のプロフェッショナル。自前の掃除道具をいくつも持っている。平山さんは同じような一日を生きているようで、同じ日なんて一日もないことを教えてくれる。なぜか? それは、この人生を平山さんが選んでいるから。誰かにおしつけられた日々じゃないから。おそらく、言語に尽くしがたい辛い日々があったのだろう。たぶん、妹が持ってきた高そうなお菓子をいまの平山さんは好きじゃない。平山さんの数日間をみていて、大好きな漫画の大好きな言葉を思い出した。もっと笑え。もがく主人公に彼にとっての心の師匠が贈る言葉。ラスト。平山さんは笑う。でも泣く。でも笑う。メンフィスの煮込み料理のような、ごちゃ混ぜの感情。喜怒哀楽ではくくれない、まだ名前のない感情もないまぜに。映画で描かれたあとの人生の平山さんは? きっと、今日も笑っている。23時の映画館では、平山さんと同じ日本人らしい静かで謙虚な拍手が鳴り止みませんでした▼あとがきが好きだ。単行本のさいごなどに掲載されているあれが。でも、どうやら書くのが好きなだけで、読むという意味でのあとがきはさしたる量を読み込んでいないことにいま気づいた。おそらく、今回のふたつの文章も依頼されたちゃんとした方が書くあとがきとはまったくの別ものなのだろう。なので、こんな条件を添えて今週は終わろうと思う。依頼されていないあとがきが好きだ。自由に書けた感想のような、それでいてあらすじの紹介になっていない、映画を観る前とあとでなにかが変わっていたり、なにかを思い出しているような文章を書くのが好きだ(唐澤和也)