20240308(金)
先生の多い人生
▼先生の多い人生だなぁと思う。最近一番お世話になっているのは「クラシル先生」だ。「誰かのオレガノ」(※2月23日更新)の時も、このスマホアプリがなければ途方に暮れていた。「サクッと作れる簡単レシピをビシッと教えてくれる先生。「アンチョビ パスタ」とか、2つのキーワードで簡単レシピを秒で示してくれるのがありがたい▼そういう意味では、各種検索お任せあれの「グーグル先生」もありがたいし、仕事の下調べに欠かせない「ウィキペディア先生」も足を向けて眠れない。それでも、僕がなにかを教わる機会が圧倒的に多いのは、口コミだ。肉声ってやつは、言葉に体重がのっかっているのがいい。理路整然としていなくても、熱があれば伝わるのもいい。「日本のヒップホップが好きならとにかく聴いてみてください!」と、その魅力の理由なんて一切教えてもらえなかったのに、後輩ライターKくんの熱に「舐達磨」に耳を傾けたのは4年前だった。なめだるまと読む。かっこよかった。リリックが独特だった。たぶん、Kくんに勧められなかったらノーマークの3人組だったと思う▼後輩フリーランスAちゃんの「安藤さくらのある表情を観るだけでも価値があります」との推し文句に即劇場に行ったのが映画『万引き家族』だったし、「え? 読んでないんですか?」と意外がるPUNCH山岡の表情で興味を持ったのは、漫画『ブルージャイアント』だった。2作ともマイフェバリットってやつだ。昭和までさかのぼれば、『中島みゆきのオールナイトニッポン』を口コミで教えてくれたのは大輔で、人生初となるライブ鑑賞は「中島みゆきコンサート」となる。隣街の豊橋市まで、大輔とテラカヨと3人で行った。おっきな貝殻が開いて登場した歌姫は、ラジオでのコメディエンヌぶりと対角線上にいて、妖艶で美しくて、なによりも歌声が魔法のようだった▼総じて「口コミ先生」を信頼しているのは、やっぱり、仕事とも重なっているからなのかもしれない。とはいえ、「インタビュー=教えてもらう」という公式はまるっと100%で重なりはしない。質問と答えという立場が違うだけで、対等なやりとりが基本だと思うから。それでも、少なくとも僕の場合は、インタビューで教えてもらうことは多い▼口コミのよさでもある〝言葉に体重がのっかっているのがいい〟はインタビューも然りで、しかも、逆の場合にも通じるのもいい。〝言葉に体重がのっかっているのがいい〟の逆なので〝言葉に体重がのっかっていないと伝わっちゃうぞ、なのもいい〟ということ。ややこしいですね。具体例を思い出してみる▼あるミュージシャンのインタビューでのこと。いいことも言ってくれているのだけれど、いや、いいことしか言っていないのだけれど、こぼれ落ちる言葉が軽い。言葉に体重がのっていない。まるで脚本があるみたいに、つらつらとよどみなくしゃべるその人。終始違和感があったのだけれど、後日、レコード会社から届いた資料で合点がいく。僕のインタビューでつらつらと語られた言葉が、その資料にもつらつらと書かれていたのだ。「今回のプロモーションではこれをしゃべる」というその人なりの決めごとがあって、それを僕のインタビューでも繰り返したというわけ。結局、その人のインタビューは、資料で既に書かれていることは意地でも使わないと決めて、四苦八苦して原稿を書いたのだった▼当時は若かったもので、だったらインタビューする意味なんてないじゃんと非常に腹立たしかったけれど、時を経たいま振り返ると(それはさておき、俺の質問はおもしろかったのか?)と自省してしまう。たぶん、つまんなかったのだ▼仮にそのミュージシャンを「コピペ野郎」としてみる。「オウム野郎」でもいい。若かったあの頃は「あのコピペ野郎め!」と一蹴して終わり。ざっくり言うと人のせいにして終わり。イケイケでいい気にもなっていたのだろう。年齢を重ねたいまの僕は思う。「コピペ野郎先生」にも教わったことがあるのではないか。それは、インタビューってやっぱり質問が大事だなぁということ。「コピペ野郎先生」がつらつらとしゃべれたということは僕の質問が想定内で凡庸だったということ。逆に、アウェイなインタビュー現場でも質問一発でひっくり返したこともあったのだから。プリーズ・ギブミー・質問力。近年稀にみるインタビューラッシュの日々に、初心に戻って質問を考え続けている週末です(唐澤和也)