20240301(金)
逆アントニオ猪木

▼アントニオ猪木というカリスマがいた。令和の若者はリアルタイムでは見ていないレジェンドだと思うけど、昭和のスーパースターだ。なぜに昭和か。令和では信じられないであろう例でいうと「アントニオ猪木にビンタされたい」と願う人が列をなすような魅力があった。猪木さんがビンタされたい人の丹田をそっと押す。歯を食いしばれということなのだろう。「ダッ!」だか「デっ!」と猪木さんが気合を発して右手でビンタをする。よろける。でも、ビンタされた人はこう言う。「ありがとうございました!」。殴られたのにありがとうございましたって。体罰とかパワハラとは一線を画したその行為は「闘魂注入ビンタ」と呼ばれた▼燃える闘魂・アントニオ猪木。新日本プロレスを立ち上げ、世界の猛者と異種格闘技戦を繰り広げ、戦地に乗り込み政治家にもなった男。僕は熱烈なる猪木さんファンではなかったけれど、一度だけインタビューできる機会に恵まれたことがある。とくにプロレス好きでもない僕にも猪木さんはやさしかった。猪木さんの師匠は力道山というプロレスラーで、ずいぶんと厳しく育てられたそうだが、それでもなお「徒弟制度はいいよ。だっていまでも調子にのると師匠が夢に出てきて初心に戻してもらえるから」と豪快に笑ってくれた▼その時以来、猪木さんの言葉が好きだ。たとえば、引退の際の名言である「迷わず行けよ/行けばわかるさ」。たとえば、引退後も叫び続けた「元気ですかー! 元気があればなんでもできる」。後者のマイクパフォーマンスは動画でもアップされている。独特な猪木節で叫ばれるこの言葉を(なにを当たり前のことを)と冷笑するのは簡単だけど、実に真理だと思う。元気はいい。すごくいいい。逆に、元気がないって本当によくない▼8年ほど前のこと。僕は逆アントニオ猪木状態だった。猪木さんの逆とは、圧倒的に元気じゃない状態のこと。全身全霊という言葉があるが、その時の僕は、全身から全霊が抜けてしまったような状態。なのに、矛盾するようだけれどバリバリに仕事はしていて、当時をよく知る後輩はその時を思い出すとこう言う。「喜怒哀楽のすべてを失う代わりに、仕事に一切の無駄がない機械のようでした」。彼女が質問すると(私がなにを質問するのか知ってたの!?)と予知能力者ばりのスピード感で僕は返事をしていた、らしい。〝らしい〟と書くぐらいだから僕は一切覚えていない。1日2時間か3時間の睡眠。栄養を補給するだけの食事を除くすべての時間を働いていた。じゃなきゃ、締め切りに間に合わなかった。そんな生活をぶっ続けで4か月という、会社だったらブラックもブラックな漆黒状態。結果的に締め切りは間に合ったけれど、元気はなくなり、喜怒哀楽と人間らしさを失ってしまう。近しい人にもたくさんの迷惑をかけた。だからこそ思う。逆アントニオ猪木状態は、本当によくない▼いまも締め切りのある仕事だから、やばい時期はある。でも、戻る。なるべく早く。もう二度と「喜怒哀楽のすべてを失う」ような仕事の仕方はしないと決めているから。そして、〝なるべく早く〟戻るためのスキルアップはちょっとずつ進歩している気もする。ヒントは、あるアスリートのコーチの「選手が超の付くスランプに陥る前に気づくこと」という言葉。その人いわく、超スランプ状態に陥ってしまうとなかなか元の状態には戻せないけど、その手前の「ちょっと調子が悪いかも?」ぐらいのタイミングならば修正しやすいらしい。ということは、自分の場合なら「喜怒哀楽のすべてを失う」手前でどんな状態になるのかを知っておけばいい。それがわかれば用心できる。僕の場合は、御用心その1「怒りっぽくなる」。御用心その2「笑ってない」。御用心その3「泣いてない」。御用心その4「ありえないミスをする」。そして、御用心その5「寝ていない」などがある▼御用心その5については、後輩から最近教えてもらった言葉が実によかった。いまのX、当時のTwitterで話題になった言葉なのだそうだが、こんな感じ。「早くねる/ただそれだけでみなぎる力」。沖縄の中学生が考えたそうだ。爆笑した。実に真理をついているし、アントニオ猪木クラスの名言だと思う。すべての締め切りを抱える人たちへ。元気ですかー? 僕は元気です。今日は早く寝ようと思います(唐澤和也)