20240217(土)
武道館/湿布を貼って
▼武道館である。気仙沼からの、武道館である。今週は、全国的に季節感がクレージーになっていたみたいだけど、出張先の気仙沼ももはや春のご陽気。ダウンもほぼ不要だった。ところが、火曜日から数えて4日目の朝、つまり今日の朝6時1分。始発電車に乗るために気仙沼駅に着くと、いやはやどうしたものか。乗ってきたタクシーができの悪いタイムマシンだったかのように、冬へと戻ってしまう。雪だ。ようやくの冬らしい風情に浸りながらもう少しゆっくりしてから東京に戻ることも考えたけれど、なんてたって今日は武道館である▼自宅に戻れたのはお昼前だった。3日間でたまった洗濯物とパソコンのメールをクリアにする。昼ごはんをさくっと作り、風呂に入ったあとの湯上がりのさっぱりした状態で、いまこれを書いている。うちのスタッフの山岡には「今日は気仙沼から直帰で自宅リモートで仕事するよ」と伝えたが、リモートというよりもリゾート気分で、風呂上がりにビールまで飲んじゃったりして。すまん、山岡。いや、そんなことよりも、ところでなにゆえの武道館か。仕事じゃなくて、完全なる趣味、RHYMESTERである。25歳の時から大好きなヒップホップグループが17年ぶりに武道館でアクトするという。これを「行かねば!」と叫ばずしていつ叫ぶというのか。と、叫びつつも、左腕上腕部と肩甲骨のうしろに湿布を貼ることを忘れない。気仙沼中もずっと違和感があったのだった。おっさんである。おっさんであるのだが、おっさんであることが笑えてくる。だって、湿布を貼っての武道館なんて人生初の出来事なのだから▼(閑話休題。武道館でRHYMESTERがしびれるアクトを。約2時間半が経過)▼感涙ものの武道館が終わった。脳内妄想プランでは、武道館終わりで即事務所へ戻り、思うがままに文章を綴ってみようと考えていた。ところがである。半蔵門線という電車に乗り込むと、耳元で悪魔がささやくではないか。悪魔のささやき、別名、「ONCE AGAIN」という名曲。RHYMESTERのクラシックだ。そんな悪魔的名曲を聴き込んでいるうちに、電車を乗り過ごしてしまったのだった▼「ONCE AGAIN」という曲は、17年前にRHYMESTERがはじめての武道館でのアクトを終えてから、1年間ほどのグループ活動休止を経て、久しぶりにリリースした曲だった。つまり、自身の復活という意味合いも曲名に含まれている。そして、17年後。彼らにとって2度目の武道館。アンコールに選ばれたのが「ONCE AGAIN」であった。懐かしいという感情では決してない。ライブではないけど、久しぶりでもなんでもなく、よく聞く曲なのだから。なのに、涙がゆっくりと溢れてくる。キャリア35年を数える人たちが、「ONCE AGAIN」と歌うことの凄み。リリック(歌詞)にのっかる重みが違う。「もう一度」の〝一度〟の重みが違う。そしてこんなことを思う。RHYMESTERのように、何度でも俺も「もう一度」を。まずは、このコラムの続きを書こう▼なのに、悪魔のささやきのせいで、乗りすごした電車は渋谷を超えて三軒茶屋へ。30代の頃に住んでいたことがある町だ。当時はRHYMESTERの「耳ヲ貸スベキ」という曲に耳を貸しまくっていたことを思い出して、2024年の夜もRHYMESTERの音を耳元に宿しながら歩いてみることにする。ここからタクシーに乗ったとしてもそれほど高額になるわけじゃない。けど、なんだか無性に歩きたかった。結果的にその日の万歩計は、ふだんの倍ぐらいの16956歩を数えることになる▼ヘッドホンのRHYMESTERに耳を貸しながら、武道館での〝言葉〟が脳裏に蘇る。宇多丸さんは、マイノリティのマイノリティによるマイノリティのための音楽がヒップホップですよと叫んだ。Dさんは、ヒップホップにすべてを与えてもらって、まだまだラップがうまくなりたいと言った。僕はライターだから、ヒップホップになにかを与えてもらったわけじゃないけど、文章を書くことですべてを与えてもらったのだと思う。ラッパーがマイク一本ならライターはペン一本ということ。そして、マイノリティを持たざる人たちと意訳してもよいのなら、そんな人たちのためにこそ、文章を書いていきたい。時に、湿布を貼りながらも(唐澤和也)