20240209(金)
才能論ってダメですか?
▼週末だ。頼んだわけでもないのに毎週律儀にやってくる週末だ。でも、今季の金曜日は『不適切にもほどがある!』があるので、久しぶりに週末が楽しみでしょうがない。いまもそう。一刻も早く帰りたいほどに▼天才クドカン脚本による『不適切にもほどがある!』は、昭和と令和の価値観の違いを飲み屋で愚痴るのではなく、公共の電波で笑いに変える〝芸〟がある。笑えて、なぜだか泣けたりもする。そんな傑作ドラマの毎週のタイトルは、第1話が「頑張れって言っちゃダメですか?」で第2話が「一人で抱えちゃダメですか?」。これまた天才・山田太一脚本による昭和の伝説的ドラマ『ふぞろいの林檎たち』のタイトルが「生き生きしてますか」などと疑問文で統一されていたことへのオマージュなのだそう。であるならば、オマージュのオマージュで今週はこんなタイトルでいこうと思う。「才能論ってダメですか?」▼なにごとにも世代間格差というやつは存在するのだろうから、才能論だってたぶんそう。令和の若者は才能で人を語ることに〝圧〟ってやつを感じるのかもしれない。最近知り合った若者も「才能と向き合うとつらくなっちゃうので、努力したところを人に見てもらうことにしました」と教えてくれた。やさしき令和の若者は「私は才能論が苦手なんですよね」をものすごーくやさしく婉曲的に教えてくれたのだと思う。でもいま、昭和の頃に若者だった僕は、はたと気づく。その若者の言葉だって立派な才能論なんじゃないかと。努力論とも言えるし。さらに、はたと、2連発なので、はたはたと気づく。才能論と天才論は微妙に違うということに。天才はもちろん努力も含めて語るのが才能論で、天才についてだけのものが天才論。似ているようで、カフェオレとカフェラテぐらいは違う▼僕が好きなのは才能論だ。子供の頃から漫画が好きで、ジャンプやサンデーやチャンピオンに登場するのはいろんなカタチをした才能を持つキャラクターたちで、バカみたいな天才肌だけじゃなく超のつく努力家も輝いていた。『がんばれ元気』の主人公・堀口元気は、そのタイトルどおりに子供の頃からめちゃくちゃがんばっていた。つまり、努力していた。『SLUM DUNK』の天才といえば「沢北」「流川」「仙道」らの名前があがるはずだが、常人ならざる成長速度の速さから考えると、実は「桜木」こそが一番の天才なのかもしれない。本人も「天才桜木」って言ってるし▼逆に、超のつく努力家として真っ先に思い浮かぶのは『シャカリキ』という自転車漫画の主人公「野々村輝」だ。同作ではクライマー(登り)とスプリンター(下り)の対決が読みどころだった。クライマーである「野々村輝」は常に死にそうな顔をして坂を登っていくのだけど、ライバル「由多比呂彦」は天性のスプリンターという天才として描かれている。その対比がおもしろい。というか、読者としては、天才でも努力家でもどっちでもよかった。要は勝負の行方であり、彼らがかっこいいかどうかだったから。それに、子供の頃からがんばって努力していた堀口元気だってボクシングの才能は確実にあったはずで最終的には世界王者になるし、『SLUM DUNK』の天才たちである「沢北」も「流川」も「仙道」も「桜木」も努力という名の練習で、尋常じゃない汗を流していた。つまり、僕が好きな漫画のなかの登場人物たちは、努力家も天才的なにかを持っていたし、天才も努力をしていた▼努力を含む才能論で、最近思い出したエピソードがある。志村けんさんの言葉だ。質問は例によってアレで「他者との比較ではなく、自分のなかで一番誇れる才能はなんですか?」というコレである。シラフでのインタビューが苦手だったのか、志村さん指定の麻布十番のお店でお酒を飲みながらコントの神様が言った。「もし、俺なんかに才能があるとしたら、コントのキャラクター本人に見えるってところだけだと思うんですよ。たとえば、外国人が俺のコントを観てバカ殿とひとみ婆さんを同じやつが演じてると知ると驚くらしいんです。その表現力をもっともっと磨いてみたい。でも、そのためにはもっと努力しなきゃとは思うんだけど、笑いの努力って、なにをどうがんばりゃいいのかが、いつまでたってもわからなくて(笑)」▼志村さんの照れ隠しを含むパンチラインは、令和のいまにも響くのではないかと思うのですが、さて、どうでしょう? ちなみに『不適切にもほどがある!』第3話のタイトルは「カワイイって言っちゃダメですか?」なのだそうだ(唐澤和也)