20240126(金)
シン・新しき世界

▼大学でのインタビューの授業が終わった。「世の中には2種類の人間が存在する。インタビューをする人とそのインタビューを読む人だ」などという、この原稿を書いているいま思いついた名言風なことは一切教えなかったけれど、都合3回の授業が終わった。たぶん、無事に。そして、気づく。先週の原稿は「新しき世界」がテーマだったが、よくよく考えてみると、この授業こそが近年稀にみる新しき世界だったことに。だって、インタビューをするのでもインタビューされるのでもなく、教えるって。しかも、生徒たちはプロのライターを目指しているわけじゃなく、その目標は、はっきりくっきりと「単位取得」である。こちらとしては「インタビューに興味があるから」という生徒がひとりぐらいいてくれるかもと期待していたから、がっくりと折れましたよ、膝が。でもだからこそ、インタビューに興味がない生徒のための授業をやろうと思ったのだった▼座学はポイントを絞って実践重視。生徒を主語にすると、任意の誰かに1時間程度のインタビューをして、原稿を書いて、その原稿を添削されたのちにもう一度書き直す。2回目の原稿を書く前に追加のインタビューをしても可。かなり実践的だ。これならインタビューに興味があるわけじゃない生徒でもいけそうだとの手ごたえを感じつつ、授業が始まってから気づく。「単位取得」を主語とするのなら、2回も原稿を書かなきゃいけないだなんて、非常にハードルの高い授業になってしまっていることに▼そんなハードルの高い授業でもドロップアウトしなかった生徒は3人。ある生徒は自分の父親をインタビューすることを選ぶ。座学でのポイントとして「インタビューでテーマを持つことの重要性」を伝えたのだけれど、彼の選んだそれは「僕の知らなかった父」。息子がインタビュアーだというのに、きちんと正座をして語り始めたという父親の言葉がリアルで、読む者(私だ)の心を打った▼ある生徒は留学生の仲間にインタビューをし、その会話を通しての自己の変化を綴っていた。課題として、原稿のスタイルには指定があって、質問と答えが繰り返されるQ&A形式。かつ、はじまりにイントロ的文章をマストで、あとがきは任意とした。3人の中でこの生徒だけがあとがきを書いたのだけれど、その内容が抜群だった。しかも、インタビュー後、インタビュイー(された人)である留学生から「私に興味を持ってくれてありがとう」と感謝されたそうだ▼ある生徒は自分のバイト先の経営者にインタビューをした。原稿を書く前に、何度も何度も取材時の音源を聞き直したそうだ。(あの人が話してくれたことを俺は本当にわかっているのだろうか?)とインタビュイーの真意を探ろうとした結果、書きたいことだらけだったのだろう。課題としては3500字以上だったが6000字オーバー。3人のなかでの最長不倒文字数であった。構成力は拙かった。けれど、それを補って余りある書きたいことだらけという熱。その熱さはプリントアウトした文字からも匂い立つようだった▼人生ではじめてのインタビューを書いた彼らに僕は思う。「本当に話を聞きたい人に本当に聞きたいことを聞くインタビューは、強い」。彼らへの授業では「同一文章内での同一単語はさける」などと偉そうに赤字添削をしたけれど、わざと同じ言葉を繰り返して強調したくなるぐらい、わずか3回という短期間で彼らは伸びた。それは、世界でもっとも成長が早い植物だといわれている竹のような伸びしろだった。そんな3人に「もしこの授業が来年もあったとして、文章を書くまでやったほうがいいと思う?」と聞いてみた。インタビューの授業だというのに〝書く〟を含んでいいのだろうかとの疑問がずっとあったからだ。「書くまであったほうがいい」と3人が声をそろえる。聞くで終わらず最後に書くからこそ気づける、話してくれた人の言動への深いレベルでの理解や、なぜ自分の心が動かされたかの気づきがあったからだそうだ▼課題ではなく提案として「原稿をプリントアウトして話をしてくれた人にプレゼントしてみたら?」と言ってみた。3人はどうするつもりだろう。やっぱり、恥ずかしいのだろうか。きっと、喜んでもらえると思うんだけどなぁ。実際、父親にインタビューをした生徒は、年末年始に実家へ戻った時に「あのインタビューってどうなった?」と父親から聞かれたそうだ▼シン・新しき世界を通して、古の昔から言われているベタなことを僕は思う。教えているようで、教わってばかりじゃないかと。話をしてくれた人が楽しみにしてくれるような原稿を自分は書けているのか。あるいは、インタビュイーから「興味を持ってくれてありがとう」と感謝されるインタビューができているのか。そして、3500字以上との条件なのに6000字以上も書く熱を忘れてはいやしないかとも。2024年、新しき世界は続く(唐澤和也)