20240120(土)
新しき世界
▼韓国ノワールな傑作映画『新しき世界』は、犯罪組織潜入の命を受けた主人公の刑事が、ふたつの出会いを通して経験する〝新しき世界〟の物語だ。新しき世界へと誘うひとつ目の出会いは兄貴(ファン・ジョンミン!)。犯罪者ではあるけれども人間的魅力に満ち満ちている兄貴分との出会いを通して、文字どおりに新しい世界(ヤクザの世界)の魅力を知る。映画の物語性ではなく、新しき世界というキーワードから紐解くと、わりとふつうな出会いだ。でも、もうひとつのそれはわりとふつうなんかじゃなくて、ヤクザ社会で図らずも成り上がっていく才能との出会いであり、我が身のことだからこそ知らなかった才。警察官である自分だからこそ知らなかった才能との出会いは、戸惑いと怖れと高揚がまざりあう新しき世界だったのだと思う▼映画『新しき世界』の主人公は仕事として強制的に新世界に飛び込まざるを得なかったわけだけれど、2024年の僕はといえば、誰になにを言われたわけでもないのに新しき世界に飛び込みたがっている。たぶん、いままでの世界に飽きてしまったのだと思う。いや、飽きたというと語弊がありますね。誰だってひとつの仕事を続けているとそんなもんなのだろうけど、いつの頃からかまとわりつく、ぬるい違和感。ぬるい違和感なので明確に言葉にできないのがやっかいだけど、いままでの世界=いままでのやり方では限界を感じるという悪い予感のようなもの。主に仕事面で。だからといって、いまの仕事をやめて別のことがしたいとかではまったくなくて、むしろ逆だった。もっとこの仕事を続けるためにはいまのままじゃダメな気がする、じゃあどうする?、いやわかんない……という違和感どまりの思考停止状態▼こういう思考状態時に残念な大人がする言い訳は「でも、忙しいから」と昔から決まっている。2023年までの僕も残念な大人だった。けれど、残念な大人を続けるのはもっと残念だ。だから、新しい世界に飛び込んでみようと思う▼というわけで、今週は新年会を開催してみた。自宅で。店じゃなくて自宅でというのが新しき世界で、ゲストに対してのホストというのでしょうか。すでにその代名詞が恥ずかしてく仕方がないけれど、自分がホストとなって、おもてなしというのか、いや、あれはおもてなしなんて高尚なものじゃないな。おもてなしなし未満、ほったらかし以上。簡単鍋スープの素的なものを買ってきて、具材を切って、あとは鍋に任せてみた。そんな程度でも昔からの友人たちは「唐澤の新しき世界!」と驚くと思うが、招いたのが最近仲よくなった新しき友達だったので、そんなことには一切気づかなかったのではないか。ふふふ。しめしめ。自宅新年会という新しき世界は、人が喜んでくれる顔を見るのが意外と嫌いじゃない自分に気づけたりするなど、やってみるもんだなぁだった▼2024年の新しき世界では、バイクの中免をとってみようだとか、秋の出版が予定されている書籍ではいままでの原稿とはまったく違う心持ちで書いてみようだとかの、わりと大きめのトピックスがあったりもする。でも、いまの自分にとっての最重要新しき世界は、自宅新年会的なものである気がしている。出来事としては大きくなんかなくてよくて、ちょっとしたことでいい。2023年までなら居酒屋といえば和食一辺倒だったのにスンドゥブを頼んでみたり、自宅ではYouTubeではなくラジカセでCDを聴いてみたり、頼まれてもいないインタビューの質問を考えてみたり。あの人はいまなにを思うのか。批評や意見を言うのではなく、質問を考えてみるということも新しき世界なのだなと知った。映画の主人公じゃないんだから、犯罪組織に潜入して経験する新しき世界なんてあるわけがない。でも、自分自身を再発見するような新しき世界ならいけるかもしれない。ちっちゃくていい。少しでいい。2024年は新しき世界を(唐澤和也)(1/25改)