20240112(金)
ないなら作ればいいと北海道のその町の人は言った

▼巣穴から顔をのぞかせたキツネを驚かせないように車をゆっくりと停めて写真を撮る。クロスカントリーの練習を終えた少年が「インタビューはまだですか?」と聞いてくる。2024年1月5日からの5日間。今年初となる旅企画は北海道でした▼どうやら僕は、雪国が好きなようだ。寒いのは得意ではないし、いまこの原稿を書いているコンクリートジャングルな東京もえっらい寒くて、得意じゃないどころかまったくもって好きではないので、ポイントは雪。さかのぼってみると、2014年に月刊LOGOSというWEBマガジンの冬企画で岐阜県郡上を訪れている。田んぼに積もった雪の上で子供たちを含む数組の家族と一緒にデイキャンプをするという企画。以来、秋田県横手のかまくら、岩手県西和賀の雪合戦、青森県津軽の地吹雪などの冬を感じられる企画を重ねてきたのだった。ちなみに、冬企画の相棒は今回の北海道を含めてすべてがカメラマンの関くん。はじめての冬企画@郡上では関くんがインフルエンザにかかり朦朧とするなかでなんとか撮影を終えた、ってことを東京に帰ってから知った。自宅で数日間倒れていたという。うつしたのではと心配した関くんが咳こみながら電話してきてくれたのだが、郡上での撮影前夜にはちゃんこ鍋を一緒につついていた僕の体といえば「インフルエンザっておいしいんですか?」とでも言いたげなそしらぬそぶり。つまり、健康そのものだった▼歴代の冬企画のいずれかでこんなことを書いた記憶がある。「雪は白いのがいい。もしも雪がピンクだったら1分で飽きてしまう」。我ながら、まったくその通りだと思う。雪は白いのがいい。今回の北海道では百名山にも数えられる旭岳にもロープウェイで登ったのだけれど、雪が降るというよりも雪の結晶が舞っていた。結晶が防寒着に落ちて溶ける。美しさと儚さよ。やっぱり僕は雪国が好きなのだろう▼今回の雪国旅には、心強い相棒がもうひとりいた。卓郎くん。機内誌としてファンの多かった『翼の王国』の元副編集長。同誌などを作っていた編集プロダクションを卒業してフリーになった昨年から、いくつかの仕事をともにしてきた。神奈川県逗子に家族と住み、サーフィンを愛する生粋のアウトドアマン。ウインタースポーツはスキーを愛し、スキーのフリーペーパーを編集していたりもする▼昨年の冬企画は岩手県一関が誇る〝もち〟旅で、それはそれでおもしろかったのだけれど、コロナ禍が本格的にすぎさったこのタイミングならば、子供たちに会いたかった。「スキー少年団的な活動をしている知り合いとかいない?」と卓郎くんに相談したところ俄然注目だったのが北海道の東川クロスカントリー少年団。卓郎くんの知人や知人づての〝東川人〟にも会って話すことができた。そんな旅の詳細は、月刊LOGOSに書かせてもらうとして、心に一番残っているのは練習終わりの少年たちが「インタビューはまだですか?」と目を輝かせたこと。かくもインタビューを熱望されるだなんてライター人生初の出来事でうれしかったからだ▼東川町というのは独特な魅力があるのだろう。なんと、移住率が50%を超えるのだそう。つまり、2人に1人は移住者ということ。そんな移住者のひとりが東川町の先輩たちと話していた印象的だったことを教えてくれた。「ないなら作ればいい」。地方だからなにもないと愚痴るのではなく、作っちゃおうぜというイズム。朝ごはんに立ち寄ったお店の店主は「映画館を作りたいんですよね」と雑談のなかで教えてくれた。さらりとさりげないカッコよさよ。個人的な趣味に寄せて語らせてもらうならば、ヒップホップな人たちだった▼ところで、旅出張はごはんと雑談も楽しみなもの。生ラムのジンギスカン、新子焼きの三四郎、居酒屋りしりと名店尽くしの夜。朝早くから取材撮影があったこともあって夕方5時とかからのごはん&雑談のなかで、卓郎くんが元テレビ制作のADだったとはじめて知った。だから細かいところに気がつくのかと合点がいきつつ、ホテルへの帰り道も雑談は続く。「道路も歩道も雪まみれで自転車だと危ないから1台も見ないねぇ」と3人で話していたら、蕎麦屋の岡持ちが自転車で颯爽とすり抜けていった。ふらつきもせずに余裕で。爆笑する僕ら。雪国の蕎麦屋の身体能力、おそるべしだったのでした(唐澤和也)