20231111(土)
電子書籍と最終回考
▼けっこう先の話なので、鬼だけでなくいろんなものに笑われそうですが、来年の夏頃発売予定にて書籍のライティングを担当できそうです。ジャンル的には漫画家のインタビュー集。2009年にムック本として世に出たものを2024年版にブラッシュアップしての書籍化。「コツコツが勝つコツ」とラッパーの柊人がうたっていたように、せっかく締め切りに余裕があるので、コツコツと原稿を進めています。まだ秋だというのに、3つ先の季節である次の夏を目指して▼さて、その書籍ですが、編集MさんとデザイナーIさんとの打ち合わせで脚注を付けようとなりました。はて、脚注とは? 毎度おなじみ新明解(国語辞典)さんによれば、「きゃくちゅう【脚注・脚<註】本のページの下にある注。フットノート。←→頭注」とのこと。へぇ。脚注について脚注するのも一興かと思ってお遊び的に書き始めてみたのだけれど、へぇ。頭注というのもあるんだ。今回の書籍では「本のページの下にある注」ではなく、さりとて「頭注」でもないし、インタビュー終わりに添えるものだから、やっぱり脚注なのだろうと思います▼では、なにを書くのかといえば、漫画家がインタビュー中に語った「好きな漫画」について。漫画が大好きで漫画家になった人が選ぶ好きな漫画はわりとマニアックだったりもするし、その人が少年少女時代に読んだ作品だった場合はやや前時代的だったりもする。令和のいまを生きる読者には脚注があったほうが、より興味を持ってもらえるかもなぁというわけでした▼脚注の文章量は、その書籍のノリに左右されるのですが(専門書の脚注はやたらと長い)、今回の我々の本はさらっと短文でいこうと。ところが、なのです。短文なのだし、せっかくデジタルな時代を生きているのだから、たとえ未読の作品でもネットで情報を調べてサクッと書けばいいものを、デジタル時代には別角度の恩恵があることに気づいてしまったワタクシ。そう、電子書籍です。昔のように古本屋を巡って探す手間なんてなく、秒で該当作品をゲット。秋の夜が静かにふけていくように、しんしんと読み込んだのでした▼電子書籍でいくつかの漫画を読んでいるうちに考えさせられたのが、最終回について。最終回って、おまけなのですね。おまけという言葉が身も蓋もなければ、余韻。それの最たる例が『がんばれ元気』でした。1976年〜1981年まで、週刊少年サンデーにて連載されたボクシング漫画の傑作です。個人的には漫画が大好きになったきっかけともいえる大傑作でもあります。連載の始まりは、僕が9歳の頃のこと。週刊少年サンデーを毎週読んでいた記憶がないから、その頃からコミックス派だったのかもしれません。当時の唐澤家は決して裕福ではなかったのだけれど、「読書は大事。好きなものがあったら買ってあげる」と母が言ってくれて、しかも、漫画も読書のひとつと認めてくれたのがナイスでした。そのおかげで、いまでも漫画家さんのインタビューを担当できたりもするのですから▼ことほどさように『がんばれ元気』には思い入れがあるのですが、であるならば、その脚注なんてサクッと書けるはずです。短文ですし、自分が子供の頃に夢中になった作品だから〝既読〟なわけで。でもですね、やっぱり再読したからこそわかることがあって、それが最終回についての考察だったのでした▼以下、ネタバレってやつを含みますので、『がんばれ元気』を未読で興味を持った方はご注意のほど▼主人公・堀口元気は5歳の時にボクサーだった父親が試合中の事故により死んでしまいます。その後、プロボクサーとなった元気が目指すのは、父が最後に拳を交えた相手でもある世界王者の関拳児。元気と関拳児による世界戦のラスト、72コマにも及ぶセリフや効果音が一切ないクライマックスの描写は、当時も再読したいまもいい意味で開いた口がふさがりませんでした。つまり、唖然。漫画史に残る伝説的クライマックス。でも、これはクライマックスであって、最終回ではない。元気は金を稼ぎたいとか有名になりたいとかのハングリーな夢を持ってボクサーになったわけではなく、あくまでも宿命的に出会った関拳児との対戦だけが目標でした。最終回では、ボクサーをやめ、というか、世界チャンピオンの座を捨て去り(ボクシングジム会長の男気あふれる見送り方にも号泣!)亡くなった父親がわりに育ててくれた祖父母のもとに帰るというお話。ラストの1コマに絵は一切なく「元気が帰ってくる!!」という文字だけといういさぎよさ。なんという素晴らしいおまけ。語弊があるのなら、なんという素晴らしい余韻。号泣させられながらも、クライマックスと最終回はまた別ものなのかもしれないと感じたのでした▼一方で、同じくボクシング漫画の傑作である『あしたのジョー』はホセ・メンドーサとの対決というクライマックスがありつつ、最終回の「真っ白に燃え尽きた」の言葉のあとに本当に真っ白になった笑顔のジョーの描写も伝説です。ただ、『あしたのジョー』的最終回はレアケースのような気がしますが、実際はどうなんだろう? 名作の最終回は余韻なのか、最終回こそが衝撃的なのか。映画や小説や落語などの〝最終回考〟を今後も続けていく所存ですが、「クライマックスと最終回はまた別もの」とするなら個人的に感じいる出来事があったので、次回に続く(唐澤和也)