20231008(日)
季節の変わり目の変節

▼赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』という新書が好きです。十年ほど前に友人に勧められたのですが、著者の偉大さを知らずに読んで、つまり書き手の前情報をほとんど知らずに読んで、ぶっとびました。ざっくり言えばおもしろく、細かく言えば文体が若い。ほとんど知らないとはいえ、赤瀬川原平さんが自分よりも30歳ぐらい上の方であることぐらいは存じあげていたので、その文体のフレッシュさに驚いたというわけです。さらに、「この本は資料としては役に立たない」的なことがあとがきに書かれていてその一文も衝撃的でした。新書で千利休のことを書いているのに、役に立たないと言い切っちゃうって。教科書然としていないというか、パンクというか。すごい人がいるもんだなぁと感動はしたもののそれっきり。眠りが浅くて複数の夢をパラレルにみて結局どれひとつ覚えていない時のようにふっと記憶から消えていたのでした。いい夢をみたという手触りみたいなものだけは残して▼月心という蕎麦屋が好きです。以前は昼間の営業もしていたのですが、いつの頃から平日の昼間の営業はなしになり、でもふらりと寄ってみようかと思ったのは昨日が土曜日だったから。土日は昼間の営業をしており、さらに運がよいことに最後の1枠の予約もとれて、いざ、ひとりで蕎麦ランチへ。スタッフの山岡は長野県出身で蕎麦好きで、だからこそ蕎麦にはうるさいのですが、この店はお気に入りで以前はよく一緒に行っていたのだけれども今日は土曜日。彼女はおやすみです。というわけでのひとり。お気に入りの蕎麦屋でのスマホでの読み物が嫌で、というよりも、「蕎麦屋でひとり本を読むおじさん」みたいにちょっとかっこつけたくて事務所の本棚から抜き取ったのが『千利休 無言の前衛』でした。十年前の読書体験はすっかり忘れていましたが、自分としては珍しく、気になった箇所にマーカーでラインが引かれていたりして。そのうちのひとつが「この本は資料としては役に立たない」でした。月心の季節の天ぷら(山梨県丹波山村産原木舞茸)が美味すぎてゆずサワーを昼間っから飲んでしまったのは想定外でしたが、まぁいっか。十年ぶりの『千利休 無言の前衛』はやっぱり傑作で、いまさらながらに赤瀬川原平さんに興味を持って、(結局、スマホも読むのかよ!)と思いつつも適当にググってみると、あるサイトには赤瀬川さんの魅力のひとつを「人間の弱さを味わいと考えていた」と記していました。あれもしよう、これもやらなきゃな土曜日。されど、月心の逸品とゆずサワーと赤瀬川原平さんのパンチライン。だめだ、こりゃ。明日、がんばろうと土曜日の弱き僕は、事務所に戻らずに二子玉川へと自転車を走らせたのでした▼季節の変わり目というやつが好きです。とくの今年は夏が長いというか、秋なのに暑いというか、ようやく秋らしい秋がきたことに頬がゆるむ。しかも、土曜出勤をサボって二子玉川へと自転車をこいでいる理由が映画を見るためというのがうれしい。お目当ては『ジョン・ウィック・コンセクエンス』。ラジオで聞いたライムスター宇多丸師匠の見立てが興味深かったからでした。宇多丸さんが本作の監督であるチャド・スタエルスキ氏にインタビューをして感じたのは「監督は主人公をある種の侍として描きたかったのでは?」という見立て。読書に限らず、いいえ、読書よりも事前情報をいれない映画鑑賞の作法としては珍しいのですが、その見立てを参考にしてみる『ジョン・ウィック・コンセクエンス』が楽しみでならない僕。はたして、最高の169分でした▼2023年の夏と秋の季節の変わり目は、「資料」あるいは「情報」に対する考え方の変わり目でもあったのかもしれません。たとえば、旅をした原稿を書いていて、一般的なセオリーとしてはその地の情報を記すもの。でも、読むのも書くのもその手のお決まり感が嫌だった僕は、誰が書いても同じになってしまう情報をなるべく避けてきたように思います。ある意味ではその想いは間違っていないとも言えるのですが、じゃあ、お前は赤瀬川さんのような文章や、宇多丸さんのような見立てができてんのかと。否定だけじゃなくて、なにかをうみだせよ、それを誰かに伝えろよと、言葉の達人たちの仕事っぷりに頬を打たれた思いだったのでした▼赤瀬川原平さんの人生最後の文章は「やっぱり人間は笑ってこそのものなのだ」だったそうです。肺炎を患って入院されている時に、ひとりでなぞなぞを考えて笑いつつ、病の快方を願った一文で『増補 健康半分』という単行本に収録されているとのこと。漫画、笑い、ヒップホップ、阪神タイガースに続く自己の興味のひとつに赤瀬川原平さんが加わった秋の日。アマゾンで同書をポチとしつつ、「あれ? 明日がんばろうの明日って今日だったっけ?」と仕事らしい仕事をしていないことに笑ってしまいつつ、明日こそがんばろうと思う週末です(唐澤和也)