20230905(火)
怒りをめぐる冒険
▼ほろ酔い加減の夜に、のんさんの話を聞きました。愛称が「のんちゃん」であるフットボールアワー岩尾さんのことではなく、女優でアーティストののん。『あまちゃん』の天野アキ役や、『この世界の片隅で』の北條すず役で知られる、やわらかい笑顔が印象的な人。そんな彼女が「怒りが一番好きな感情」と語ったというのです。ふたつの意味で衝撃的でした。ひとつは、やわらかい笑顔が印象的な人=楽しそうに見える人が実はそんなことを考えていたのかという意外性。もうひとつは、いちおうは表現の現場に身を置く者として、怒りをある種の糧のように生きてきた「元キレ澤」としての共感▼ほろ酔いから一夜あけて調べてみると「怒りが一番好きな感情」というのんさんのパンチラインは見つけられませんでしたが、彼女が怒りを原動力に表現活動をしていることは確認できました。ファッション誌『Numero TOKYO』のインタビューでは「怒りは自分にとってはそんなに悪いものではなく、喜びや楽しさ、笑ったり泣いたりするのと同じぐらいカジュアルな感情です」とのこと。改めて字面で触れるとやっぱり意外ではあるけど、激しく共感。そうなんですよね。怒りってそんなに悪いものではなく、ネガティブなだけじゃないはずだから▼ライターとして、はじめて怒りという単語にフォーカスしたのは、dj hondaさんというヒップホッププロデューサーにしてビートメイカーのインタビューでした。1998年、ムック本の取材でのこと。「怒りはガソリン」とhondaさんが言ったのか、hondaさんの言葉から「怒りはガソリン」との見出しを僕が書いたのか。テープ起こしがテキストベースで残っているのは2001年からなので、残念ながら再確認はできませんでしたが、それでも、2023年のいまでもはっきりと覚えているぐらい「怒りはガソリン」とのパンチラインがhondaさんのもの、あるいは、hondaさんのおかげだったことは間違いありません▼当時のdj hondaさんのレーベルはソニーだったのですが、その担当者と一緒にカナダへ行ったこともありました。dj hondaのカナダでのライブをルポするという内容。ところが、その仕事は成立しませんでした。理由は、ライブ当日のその夜にNO DJだったから。肝心のdj hondaさんが来なかったのです。どうやら、一緒に来るはずのラッパーが入国できず、「ふざけんな!」と怒ってアメリカに帰っちゃったみたい。申し訳なさそうにその旨を伝えるレーベルの担当者。不思議なのは、仕事がなくなってしまった僕だって「ふざけんな!」と怒ってもいいはずなのに、そんな感情には一切ならなかったということ。入国できなかったラッパーは、入国できないぐらいのやんちゃな人だったのでしょう。というか、イリーガルな人だったのかもしれない。おそらくは、その人だけを帰国させればカナダでのライブもできたはずだけれど、そうはせずに「ふざけんな!」と一緒に帰っちゃったhondaさん。ヒップホップは仲間を大切にする表現でもあるので、その怒りを「らしいなぁ」と思い、「いいなぁ」と感じ、「かっこいいなぁ」と記憶に刻んだのでした▼じゃあ、仕事が飛んでしまった僕はどうしたか。はじめてのカナダを堪能したのでした。たしか、カルガリーだったはずです。窓のないでっかい塔を登ったり、動物園に行ったり、びっくりするぐらいおいしくないチャイナタウンの中華料理に逆の意味で驚愕したり。もちろん、あのdj hondaさんのライブアクト、しかも海外でのそれを見たくなかったかと言えば純度100%の嘘になりますが、いまこうして思い出すのは、怒りではなくよき思い出だったりもします▼一説によると、科学的にも怒りは有効作用する場面があるみたいですね。海外の実験らしいのですが「寒い」だとか「ひもじい」だとかの過酷な条件下でFワードなどの口汚い言葉を叫んで怒りに身を任せると、そうでない人たちよりもずっと耐えられるんですって。この説が本当ならば、人間にとっての怒りは、たしかにガソリンなのかもしれない▼とはいえ、怒ってばかりでは疲れちゃうのもまた、人間ってやつの性です。科学的な証明はともかく、個人的には痛感しています。この連載でも何度か書いてきたのですが、怒るのも体力がいるし、怒ってばかりじゃ身が持たないし、なにより自分で自分を嫌いになります▼そういう意味での忘じのパンチラインが2年前の鶴瓶さんのもの。2011年から定期的に取材させてもらっているのですが、ある時からふと感じたことがありました。鶴瓶さんもまた怒りをガソリンにしてきた人ではないか。僕にはそんな印象があったのですが、ある時から「怒りよりも大きなもの」をみつけて、それを表現の糧にしているような気がしてならなかったのです。そんな前提を話したうえでストレートに聞いてみました。「怒りよりも大きなものってあるんですか?」。鶴瓶さんは、うん、とうなづく代わりに即答しました。「唐澤、怒りよりも嫁やで」。まだ何者でもなかった自分に家出同然で嫁いできてくれた奥様。その人をとにかく幸せにしたい。その気持ちのほうが怒りよりも上だと鶴瓶さんは言うのです。ちょっと泣きそうでした▼怒りは悪くない。でも、せっかく年齢を重ねているんだから、もっと大きなものを見つけてみたい。2年前のインタビューの時からそんなことをずっと考えているのですが、でも、いまだにちっちゃいことで怒っちゃうんですよね。僕にとっての怒りを巡る冒険は、まだまだぜんぜんその途中のようです(唐澤和也)