20230830(水)
うまいって褒め言葉ですか?
▼ほろ酔いかげんの夜に「……って、うまいの?」と聞かれました。飲んでたものじゃなくて、僕の好きな表現者に対してどう思うかという質問。別にふつうの問いかけなのですが、うまく答えられなかった僕。ほろ酔なのに。酔いに任せて適当に答えることもできたはずなのに。ほろ酔いははさておき〝うまいと聞かれてうまく答えられない〟ってちょっとややこしい文章ではあるのでシンプルに。今週は「うまいって褒め言葉ですか?」というお話です▼「唐澤、原稿うまくなったな!」。編集プロダクションでお世話になっていた頃、そんな言葉で社長に褒められました。週刊誌の連載だったと思います。何度かその連載の原稿を担当させてもらえて、コツみたいなものがわかってきていたのかもしれません。それまでは真っ赤だった原稿にほとんど赤字が入らず「うまくなったな!」と社長。心からの笑顔でした。後輩スタッフがいるいまならわかるのですが、本気で心底うれしかったのだと思います。ちなみに、その社長のことは当時もいまも大尊敬しています。なのに、カチンときていた僕。「どうも」かなんか適当な相槌こそ打ったものの(うまいってなんだよ。ライターなんだから原稿がうまいのなんて当たり前だろ)。そして、心の内でこんなことを決めたのでした。(うまいと言われるより、すごいと言われるライターに俺はなる!)▼語尾だけルフィ的な小さな野望。残念ながら、いまのところ、すごいライターにはなれちゃあいない我が身ではありますが、みなさんは、どうですか? うまいって褒め言葉なんですかね? というか、そもそも、たとえば会社員の世界でうまいなんちゃらというくくりが存在するのか。「うまい営業職」も「うまい総合職」も、ましてや「うまい社長」もいなさそうです。「仕事が重なっている時のうまい断り方」とかの技術っぽい意味じゃないと使わない言葉なんでしょうか。となると、技術というやつがキーワードとなりそうです▼たしかに、専門職のひとつであるシステムエンジニアの方には「うまいプログラミング」とかの表現がありそうです。しかも、「うまいプログラミング」という言葉を僕は口にしたことがない。そのプログラミングをうまいとわかるには、それ相応の技術が必要だからです。テーマに戻ってみましょう。「うまいって褒め言葉ですか?」。おそらくは、同業者が同業者に言う「うまいプログラミングだなぁ」は、褒め言葉のような気がします▼となると、大反省です。「唐澤、原稿うまくなったな!」の社長は、同業者どころか業界の大先輩。うまい原稿も下手くそな原稿も何百何千と読み込んで赤字を入れてきたツワモノ編集者でした。つまり、「唐澤、原稿うまくなったな!」は完全なる褒め言葉ということになります。そうだったのかぁ……。なんだか、時を超えてうれしくなってきました。社長、あの時は心から褒めてくれてありがとうございました。なのに、当時はカチンときた僕。社長、あの節はすみませんでした▼とはいえなのです。とはいえ、あの時カチンときた気持ちと自分だけの約束みたいなものって、意外と大切だったなぁと思うのです。「うまい原稿」を否定したからこそのなにか。それは、インタビューアーとしてのなにかでした。「うまいインタビュー」を求めない。探さない。よしとしない。するとどうなるか。型ができない。もちろん、プロット(質問リスト)を準備するとか、テープ起こし(インタビューの内容を文字起こししたもの。いまやカセットテープというアナログではなくデータですがこう呼ばれている)は語尾まで再現してもらうとか、書いた原稿は最低でもひと晩は寝かせるとか、型というよりもルーティンのようなものはあります。でも、こういう人にはこういうことを聞いとけばOKとかの型がない。なので、インタビュー現場がうまくいかなかったり、停滞したりすると、いまだに全身全霊で焦ります▼だから僕は、一生インタビュー術みたいなものは書けないと思う。「そもそもオファーがこないだろ!」という的確かつ悲しくなるツッコミはさておきです。でも、それでいいし、それがいい。いまだにドキドキできるからこそ、インタビューを好きでい続けられるのですから▼さてさて、語尾だけルフィーだった頃からいまも「うまいインタビュー」を求めていないのですが、こと文章だけに限ると、風向きが変わってきました。2023年8月30日現在の超本音は「文章、うまくなりたいっす!」。その本音の裏側には、2020年の6月からこの「からの週末」を、基本的に毎週書いてきたことが左右しているように思います。たまに自分の原稿を読み返して、逆のことを感じてへこむ夜があるから。「下手くそだな、文章!」と。インタビューのこととあわせると矛盾しているかもですが、インタビューと原稿書きを繰り返した締め切り天国を終えて、そう思ったのでした(唐澤和也)