20230715(土)
〆切と睡眠

▼〆切。英語ではデッドラインというらしい。デッドって。DEADのLINEって。怖い。でも、英語でもその言葉が選ばれるぐらいなので、やっぱり締め切りがある仕事というのは特殊で、古今東西老若男女、それぞれにこの言葉と向き合ってきたことがうかがい知れます。ここ日本では2016年に『〆切本』という書籍が発行されていて、表紙を飾る「拝啓、締め切りに遅れそうです」とのコピーが切なくもおかしい。紹介されているのは、夏目漱石や太宰治といった小説家から手塚治虫や岡崎京子という漫画家まで。もうひとつの表紙を飾るコピー「なぜか勇気がわいてくる。」も秀逸だけれど、28歳でライターになったワタクシもワタクシなりに〆切とは付き合いが長かったりはします▼毎週のギャランティが保証されていた週刊誌時代は、編集部にフリーランスライターが集合してそれぞれが担当するページを書いて、翌日の朝までにはなにがどうあっても入稿しなきゃだったので、ある意味で楽な〆切生活でした。編集者が丁寧な赤字を入れてくれたりもして孤独ではなかったし。ということは、本格的に締め切りと向き合って孤独を知ったのは、その週刊誌以外の他誌からの仕事がくるようになってからということ。まったくもってあてにならない自分の記憶では、1999年前後から、ありがたくも苦しく、そして孤独な〆切生活が始まった気がします▼さてさて(インタビューっておもしろいなぁ)と感じはじめた頃から、話を聞けた方の名前を記録した「インタビューリスト」という資料的なものを残してきました。あてにならない記憶ではなく、同リストを振り返ってみると、人数の最高は2011年の78人。となると、インタビュー以外の原稿をのぞいたとしても年間に少なくとも78回の締め切りがあったわけで、1ヶ月平均にすると6.5回のDEAD LINEがあったということになります。週に1本じゃ終わらなかったんだと思うとゾッとします▼では、いかにしてそんな死線をくぐり抜けてきたのか? 寝ないで徹夜? いや、逆です。寝ちゃってた。もちろん、おっさんとなったいまと比べるのなら億単位で桁の違う体力があったったので、書き続けられる時間は長かったと思います▼当時は完全なる夜型だったので、夕方から書き始めて、深夜をまたいで朝のラジオ体操の時間ぐらいまで書く、なんてしょっちゅうでした。でも、完徹ではなかった。完徹とは、文字通り完全に徹夜して48時間起きっぱなしとかで、3徹ならば、72時間起きっぱなしの状態です。そうではなくて、朝のラジオ体操まで書いて、体操はせずに寝て、しかも遮光カーテンがデフォルトだったので、当時だと〝いいとも〟ぐらいまで熟睡。で、起きてやっベーつって遅れている原稿を書き始めたのでした▼本当にやばい時、すなわち、ミルフィーユのように〆切が折り重なっている時は、〝ラジ体〟から〝いいとも〟の6時間睡眠は無理で2、3時間の仮眠でしたが、それでも寝ちゃってた。寝ないと無理でした。一説には、脳というのは素晴らしくて、寝ている間に現世(寝てるだけで別に死んだわけじゃないけども)の思考を整理してくれるらしいですね。そんな説を聞きかじって以降なんて、さらに寝ちゃっていました。つまり、ライターとしての〆切ともっともマッチングしている言葉が「睡眠」だったというわけ▼ところがです。これが編集者としての〆切となると話が違ってきます。ライター仕事は寝ないと書けないのに(2時間でも)、なぜか、編集仕事は寝ないでも、それこそ完徹でもできてしまうのです。使う脳の種類が違うのか、編集とライターを兼務している同業者に聞いても似たようなものだったので、やっぱり、そういうものなのだと思います。でもしかしです。使う脳が違かろうが、なんとか仕事ができてしまおうが、やっぱり寝ちゃったほうがいい。いままさに〆切に追われている若手フリーランス編集者にはとくに声を出してお伝えしたい。寝ちゃえ!と▼「でもマジで寝たら終わらんないっすよ」。そんな言葉でお嘆きの後輩には、「わかる!」と膝を打っちゃいます。そりゃそうだよね、いまは体力あるからなんとかなるもんね。なので、自分で自分にこの言葉を贈るとします。「寝ちゃえ!」と。「はい!」と。大きく返事をした今週末のワタクシ。そういえば、メジャーのスーパースター・大谷くんもよく寝るっていうし。ライターと編集の2刀流として、とにかく寝るを合言葉にこの夏のデッドなラインを乗り越えたいです。というわけで、寝ます!(唐澤和也)