20230512(金)
三軒茶屋のサラ・ヴォーン

▼コロナ禍を経たからこそ痛感するのですが、生の舞台や音楽や野球や映画というのはやっぱりいいもの。厳密にいえば、映画というのは生ではないけれど、配信全盛のこの時代では映画館で見るという行為の価値があがっているから〝生〟と言ってもよい気がします。〝生の映画〟はいい。逆か。いい映画を映画館で見ると生でよかったと思える。たとえば『THE FIRST SLAMDUNK』、たとえば『RRR』。というわけで、本日金曜日の午前中。締切天国を書き抜けた隙をついて、映画館での公開がそろそろ終わってしまう『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』へ行ってきました▼確実に、生向きの映画でした。鑑賞前に後輩Aからおすすめされていて、彼女のおすすめでおもしろくなかったことがないので、きっとこれはおもしろいんだろうなぁとおもいっきりハードルを上げて見たのに抜群でした。同じく鑑賞前には「賛否両論」という漢字4文字も目にはしていたのですが、この映画のどのあたりが否なのかがまったく思いつかなくて、逆に気になったほど。なので、ちょいと調べてみました。<★以下、ネタバレというやつを含みます★>。否定派の方の意見としては(1)世界観にハマれない(2)ギャグが笑えない。下品(3)物語の帰結が好みではない。……などなどの意見が散見されました。なるほどなるほど。否な意見を知れて、賛否両論ある映画だということがようやく腑に落ちました。なぜなら、先述の3つのポイントを全部ひっくり返すと、僕がこの映画を好きだったところになるから。そりゃあ、好みなんて誰にだってあるので、どっちがいい悪いではないはずで、この映画が否の人の気持ちもその理由も腑に落ちたのでした▼では、賛な僕の好きなところをこの3つに絞ってみると(1)の世界観がまず魅力的でした。本作はマルチバース(我々の宇宙以外に別の宇宙が存在しているという概念)を描いている映画なのですが、主人公のエブリン(ミシェル・ヨー)が、さえないおばさんというのがいい。しかも、日本でいう確定申告的なタイミングで控除をお願いするという初期設定も好き。微妙に地味、でも、お金がからむ生活感がにじみ出るという絶妙な設定。それでまた、主人公がアジア系だからか国税局の女性担当者(ジェイミー・リー・カーチス)がそれはもう意地悪なのがムカつきます。でも、そのムカつきがマルチバースならではの展開があるところも粋でした▼その後、エブリンは自分が世界の救世主であると知り、マルチバースを行き来します。最悪とは言わないまでも下から2番目ぐらいにはさえない日常から、ぶっとんだ世界へとジャンプする(実際に、バース・ジャンプなる言葉も登場します)。その振り幅を描くということ。ぶっ飛んだSF的世界がずっと続くのではなく、イケてない日常をちゃんと描くという丁寧さが好きでした▼そして(2)のギャグ。映画だとギャグとは言わないんですかね? ま、コメディ要素でもいいんですけど、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、すげぇ笑える『マトリックス』と思ってもらってほぼ間違いないです(もちろん、賛否両論の賛の人にとってはという話)。先述の「バース・ジャンプ」では、突飛で変な行動をすると高速でスムーズに別のバース(宇宙)へジャンプできて、その宇宙で暮らす自分の能力を引き出せるというもの。監督のダニエルズ(2人組)が大好きな映画のひとつが『マトリックス』らしいのですが、あの物語のなかでのカンフースキルのリロードにあたるものがバース・ジャンプで、でも、その力の発動には縛りがあるというわけです。その縛りという名の大喜利で繰り広げられるのが、ある人にとっては下品で、ある人にとっては爆笑ものというわけ。さらに、マルチバースのなかには「もしも、人類の指がソーセージだったら?」というくだらないにもほどがある設定があり、じゃあどうやってその宇宙ができたのかをフラッシュバックさせる1シーンで、映画『2001年宇宙の旅』が元ネタになっている場面でもくだらなさすぎて爆笑したのでした▼最後に(3)。これこそ、賛否両論の否の人の気持ちが痛いほどわかったのですが、「結局、愛かよ」と。その物語の帰結は安易だろうと。そういう人も多かったようです。まさに『マトリックス』を初めて見た若かりし頃の自分がそうだったので、その気持ちよくわかります。『マトリックス』という映画そのものは好きだったのに、物語の帰結のさせ方が「結局、愛かよ」と引っかかってしまったから▼そのうえで、なのですが、基本的にはシリアスな世界観である『マトリックス』と、基本的にはギャグ満載の世界観である『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』での愛オチは、大きくその意味が異なるように思うのです。落語がそうであるように、笑いがあるからこそ説教も聞けるというか。さらに、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、愛オチの前に、エブリンの夫(キー・ホイ・クァン)が戦い続ける妻に対して「やさしくね」との言葉を贈るのです。公式パンフレットによれば、これは小説家のカート・ボネガットの「愛は負けるが、親切は勝つ」が元ネタとのこと。監督のふたりはボネガットのことも大好きだそうです。ということは、ただただ、物語を帰結させるために愛オチにしているわけじゃなくて、間にひとつ「親切」が入っているということ。ボネガットの小説は『タイタンの妖女』しか読んだことがないのですが、氏の「愛は負けるが、親切は勝つ」は大好きなパンチライン。パンフレットを読むまで監督のボネガットへのリスペクトを知らなかったのですが、だからだったのかぁと時差ありで納得させられたのでした。本作の下ネタギャグでも下品に大爆笑していたのに、「やさしくね」との夫の言葉に、ちょっと泣いてしまうという予期せぬ落差。まったくもって意味がわかりませんでした、その涙は。これ、泣く映画じゃないでしょと自分で自分にツッコみながらの涙。でも、パンフレットを読んでそういうことだったんだなぁと納得させられた次第▼最後に余談をひとつ。今回のタイトルはある種のマルチバースにしてみました。生の舞台はいいなぁという内容を考えていた〝週末の宇宙〟があったのですが、かつてサラ・ヴォーンという伝説のジャズシンガーの日本でのラストライブを観に行った時のことを書こうと思ったのですが、あまりにも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がおもしろくて、バース・ジャンプしちゃったのでした(唐澤和也)