20230430(日)
1988年の選択

▼我が人生最大のターニングポイントは、1988年のことでした。東京2年目の20歳の時。志望大学のひとつになんとか受かり、花の大学生生活を謳歌しはじめた頃の話。その時、ひとつの選択をするのです。あれほどまでに好きだったのに……。なのに僕は別の存在を好きになってしまうという愛憎の迷路にハマり込んでしまう。その時の選択が正しかったのかどうか、いまでもわからないままでいます▼なーんて、大げさに書いてみましたが、ことは至極単純なのでした。1988年の春、それまで好きだったプロ野球の読売ジャイアンツから、中日ドラゴンズファンへと趣旨がえをしただけ。その理由をひとことで綴るなら、ジャイアンツの野球が「なーーんか、つまんない!」から。当時の監督は王貞治さんです。王長嶋とセットで語られることの多いスーパースター2人ですが、僕らの世代は完全にワンちゃん(王さんの愛称)派で、僕もそうでした。本塁打世界記録である756号を王さんが放つ際のラジオ放送をどうしても録音したくて、連日連夜ラジカセの前にへばりついていたりもして。さりとて、その録音放送を聞き直した記憶は一切ありません。なので、なぜにそんなものを録っておきたかったのかは意味不明ですが、物心ついてから最初に憧れた存在は王貞治だったのでした。その時僕は10歳です▼現役時代の王さんが好きすぎてその反動があったのか、10歳から10年が経って20歳になった僕が大人になったからなのか。ジャイアンツの監督になった王さんは、どうにもこうにも魅力的ではありませんでした。監督初年度から3位、3位、2位、4年目でようやく優勝と、令和のいまよりももっと〝常勝〟が求められていた当時のジャイアンツからすれば、弱い時期だったともいえそうです。でもですね、僕がつまらなかったのは、その順位の低さではなくて、笑顔なき王さんの険しい表情と、そのムードに支配された選手たちの覇気のなさと、なにより監督としてのチームづくりの方向性と戦術のつまらなさでした▼もちろん、のちにソフトバンクで監督業に復帰して、弱小球団を優勝させたり、あのWBCの初代世界一監督でもあるわけで、王さんは監督としても偉大な人物のひとりです。なので、ジャイアンツ時代がたまたまそういう〝なーんか、つまんない!〟だっただけなのだと思います。そして、僕の不満が順位ではない証拠に、優勝した年の野球が一番つまらなかった記憶があり、だからこそ、そのシーズンオフにジャイアンツファンをさよならしたのでした。1988年春のことです▼じゃあなぜ、鞍替え先が中日ドラゴンズだったのか。理由は3つ。ひとつは地元の愛知県時代はジャイアンツファンが少数派だったけれど、大都会東京では多数派だったこと。20歳の僕はちょっとひねくれてもいましたから、映画でいえば、スピルバーグよりもジム・ジャームッシュと、メインストリームよりもサブカルチャーに惹かれていました。作品そのものよりもムードみたいなものに酔っていた気がしないでもないですが、まぁ、そんな感じで、多数派のジャイアンツファンでいることがカッコ悪く感じたのだと思います。故に、逆に。大都会東京で地元球団である中日ドラゴンズファンになるのは悪くないかもと思えました。ドラゴンズはサブだし、映画でいうと決してスピルバーグではない。そこも魅力でした▼そしてもうひとつ。僕が東京で出会ったジャイアンツファンの人たちは「勝てばいい」と王政権4年目の優勝に大喜びだったのが鼻につきました。自分もジャイアンツファンだったくせに嫌悪感すら抱いたものでした。このふたつ目の理由は、映画でいうと作品そのものをみるのと同義なのではと思います。もちろん、ファンとしての好みも人それぞれで、「勝てばいい」もまたひとつの価値観ではある。でもでも、20歳の頃の僕にとっての1987年のジャイアンツはまったくもって共感できなかったのでした▼3つめの最後の理由は一番単純で、中日ドラゴンズの当時の監督が大学の大先輩である星野仙一さんだったから。闘将と呼ばれ、いまの時代では考えられませんがゲンコツ的指導もありだった熱き男です。星野さんは現役時代から、打倒ON(王長嶋のこと)&ジャイアンツでもありました。つまり、僕にとっての星野仙一という男は、メインではなくサブで、完全にジャームッシュであり、カッコよかった。そんな経緯があったからこそ、星野さんが2002年に阪神タイガースの監督になるや2度目の鞍替えをして、虎党になり、いまに至ります▼でも実は、3度目の鞍替え危機一髪な時期があったのです。2013年春のことです。理由は、2023年のいま、待望の監督復帰をしてくれた岡田さんが辞めた2009年から2012年までの阪神タイガースの野球が、1987年以来となる「なーーんか、つまんない!」だったから。しかも、なんのタイミングのよさか、2011年から星野さんが楽天イーグルスの監督をやってもいた。これはもしかして天のお告げ的なものなのか? いやいや、さすがに節操がなさすぎるだろと思いとどまれましたが、もしも、鞍替えしていたのなら、2013年の楽天イーグルスは、あの田中将大投手の24勝0敗という漫画みたいな圧倒的活躍もあり、球団設立以来の初優勝を遂げていたのでした。だから、危なかった。実は、僕が鞍替えをした一度目はその年に、二度目は翌年に、ドラゴンズもタイガースもセ・リーグ制覇、すなわち優勝をしているのです。星野さん、すげぇ!って話でもあるのですが、もしも三度目の楽天の時もそんな選択をしていた日には、1988年の選択の理由その2「勝てばいい」などと20歳の僕が鼻についた人たちと結果的に同類になっちゃうところだった。いやはや、本当に危なかったのでした(唐澤和也)