20230331(金)
花見のようなもの
▼ここ数年、この時期になると桜を追いかけています。翌年に作成するポスター撮影のためなのですが、今年目指したのは奥多摩のキャンプ場。2023年度産東京桜は、落語に登場するドジな登場人物のように早とちりだったので、都心に比べて咲き誇る時期が若干遅い奥多摩へ。案の定、奥多摩桜は見ごろかつ撮りごろで、タープに映った花びらと枝のシルエットがまるで墨絵のような美しさ。小道具として、三色団子を用意していったのですが、桜色は春を、白色が雪=冬、緑色はよもぎで夏の予兆のイメージがあるそうで、秋がない=飽きがこないという意味がかけられてると初めて知りました▼さて、ところで、もしも。桜が春の花じゃなかったら、こんなにも愛されていなかったような気がします。たとえば、夏の桜だったらどうか。ためしにイメージをひろげてみると、夏の桜と花火、夏の桜と花火とビール、夏の桜と花火とビールで花見。あれ? 意外と夏の桜もありな気がしてきましたが、楽しさはプラスされても〝切なさ〟は減ってしまいそうです。春は出会いと別れの季節。僕が桜を意識するようになったのも愛知県の実家を出て東京に旅立つ日のことでした▼バックトゥザ18歳の春。受験した大学すべてに落ちるという惨敗の春。自宅からタクシーで新幹線の停まる豊橋駅まで向かった浪人生の僕は、車内にひとりでした。不安と希望ってやつがカフェオレのように混ざりながら、しかも、花の大学生ではなく、東京の予備校に通うための上京ですから、あまり晴れやかなものでもありません。そんなカフェオレな僕を乗せたタクシーが赤信号で停まると、突然にピンクの桜が降ってきたのでした。舞うというよりも、スコールのように降ってくる感覚。停車した場所は、市内で有名なお花見スポットでした。そんなスコールのような桜の花びらに、なんだか励まされたような気がした僕は、ちょっとだけ気持ちが軽くなって東京を目指したのでした▼19歳以降、東京の大学生となって帰省するたびに父は、豊橋駅まで車で迎えに来てくれました。そのこととあわせて18歳の春の出来事を振り返ると不思議なのですが、なぜ、父は東京へと旅立つ息子を愛車で送ってくれなかったのか。そもそも、「元気でな」とか「頑張れ」とかの言葉をかけてもらった記憶もなかった。怒っていたのかもしれません。地元にも予備校はあるわけで、東京の予備校生活は無駄な出費も増えます。しかも、全部の志望校に落っこちておいてなに言ってんだって話ですが、高校3年時の僕はそこそこの偏差値はあったので、地元の予備校だったら授業料免除でした。特待生というやつです。つまり、同じ浪人生といっても、地元と東京とではかかるコストが違いすぎる。だから、本心では怒っていながらも渋々上京を許してくれたのか。でも、もし怒っていたのなら、父ははっきりとそう主張する(というか、怒る)人だったので、「なんで東京なんか行かんといかんだ!」と地元の方言である三河弁で偶然の韻を踏んで(行かん/いかん)怒ったはずでした。なのになぜ? その答えを父の口から聞いたのは、やっぱり桜が舞う春のことでした▼僕が30歳をすぎたぐらいの頃で、父がいまの僕ぐらいの年齢だった春のこと。ふだんは春に帰省することないので、なにか理由があって戻ったはずなのですがその記憶にはもやがかかっています。その代わりに鮮明に覚えているのは、地元の自衛隊(父の職場だったところです)の近くの川べりで、ふたりで花見のようなものをしたこと。美しく桜が咲いていました。けれど、とくにお花見スポットではない川べりをふたりで歩いただけ。しかも、川といっても人工的な用水路なので、きれいでもなんでもなく、目線を下げると川(汚い)、あげると桜(美しい)というコントラストが奇妙で、そもそも大人になってから父とふたりで一緒になにかをしたということがなかったので、それもまた不思議な時間でした▼そんな花見のようなものから15分ほどが経過した頃、なぜか突然に父が川を渡り始めました。といっても、用水路ですから、橋なんてありはしません。幅5メートルぐらいの川の端と端を繋ぐように、細いドラム缶のようなものが通っており、その上を歩き始める父。ドラム缶のようなものなので、形状としては丸まっており〝歩くな危険〟状態な橋では決してないものです。花見のようなものをする前に、ここまで歩いて来た入口的なところに車があるわけで、そっちに戻ればいいのにと思いつつもチャレンジングな父を見るのがなんだかおかしくて、その背中に続く僕。昔から運動神経のいい人でしたが、55歳ぐらいのその頃の父も抜群でした。一度もふらつくことなく、すすすっとまるで忍者のように向こう岸へと渡り切る父。父よりも若いくせに、危なかっしく、おっとっとと、なんとか橋を渡った僕に、父は手を差し伸べて、にかっと漫画の主人公のように笑ったのでした▼桜の季節になると、あの橋渡りを思い出します。そして、帰り道の車内での父との会話も。「なぜ、浪人の時に東京へ出してくれたの?」と運転する父の顔を見ずに聞いた僕に、父もこちらには顔を向けずにまっすぐに前を見ながら言いました。「信じてたからな」。なぜ、あの旅立ちの時にタクシーだったのかは聞けませんでしたが、その言葉がうれしくてちょっぴり泣きそうになってしまった僕は、だからやっぱり父のほうを向けずに、窓の外のあちこちで咲いている桜を眺め続けたのでした(唐澤和也)