20230304(土)
気仙沼漁師カレンダー

▼もはや、朝早いとかじゃないのが笑えてきます。真夜中の深夜0時にホテルのロビーに集合して気仙沼市魚市場へ。メカジキを水揚げ中の船頭と若手2人の漁師さんの撮影&取材です。詳細はまだ言えないのですが、とにかく写真がすごい。一般的には「朝からテンションがあがる」などと表現しますが、今回は、夜遅くからテンションがあがりました。そんな撮影の終了後、一旦ホテルに戻り1時間ほど仮眠です。この仮眠ってやつがくせもので、体力的には助かるのですが、アイフォンのベタなあの音で起こされた瞬間が、軽く殺意を覚えるほどに、眠い。しかも、深夜0時集合前にも仮眠をとっていたので、1日で2回も異常な眠気を振り払わねばとは。頭の片隅で(いま、二度寝してしまったら……どうする俺?)と大河ドラマのタイトルのような夢想をしつつ、(いや、ふつうに怒られるだけだね)と目をさましたのでした▼そんなこんなで、5時45分に再集合。港でマグロ船漁師さんを撮影&取材させてもらえる予定です。貴重です。マグロ船は1年のうちの10ヶ月ほどを海で生活するそうで、漁師街・気仙沼といえどもタイミングがあわないと出会えない人たちだからです。そんな貴重な撮影&取材を無事に終えての朝食後、1時間ほど仮眠をとって、あれは何時だったか。たぶん11時半だったと思うけれど、漁師さんが戻ってくる時間が読めないのでとりあえず昼食をとりながら待機。サヨリという1キロ9000円もする高級魚をゲットしてきたその漁師さんの取材を終える頃には、メカジキの撮影が昨日だったのか今日だったのか、わからなくなってきました。終了時刻は15時。終わりだけを考えるとものすごく早い時間に仕事が終わっているようだけれど、始まりからさかのぼると漁師時間で駆け抜けた1日でした▼駆け抜けた仕事の名は、気仙沼漁師カレンダー。来年の2024年版で最後となる仕事です。ものすごくありがたい仕事でした。一番のポイントは、主語が自分ではないということ。僕がなにを感じたかとかどう思うかよりも、海の男たちがなにを感じてどう行動してきたかを伝えたくなるインタビュー。2016年度版から9回すべての主語は、もちろん漁師さんでした。気仙沼には地元の漁師さん以外にも水揚げをするために全国各地のプロフェッショナルが訪れます。よりどりみどりな方言に苦労しつつも、インタビューを元に原稿をまとめるスタイルで、文字量は400〜800字でした。なぜに、文字量にばらつきがあるかというと、プロデューサーのJくんがカメラマンとデザイナーを違う方にお願いする作戦だったからです。つまり、毎回フォーマットが異なるというわけです▼言ってみれば、一期一会な刹那的セッション。なんだかカッコよすぎる表現ですが、映画版も傑作だった『BLUE GIANT』でも描かれているように、ジャズバンドのようなものなのでしょうか。ジャズバンドとロックバンドの違いは刹那か否かにあるようで、ジャズはメンバーを固定せずに常に新しいケミストリーを繰り返すのだそう。後者のロックバンドは、そりゃあ解散する場合もあるけれど基本的にはそれなりの年月を積み重ねるもの。自分が編集を担当する場合はロックバンドスタイルが好きなのですが、だからこそ、気仙沼漁師カレンダーのジャズ的セッションはスリリングでおもしろかったのでした▼ラストを飾る写真家は瀧本幹也さん。実は、はじめての気仙沼漁師カレンダーの撮影を担当したのが瀧本さんの師匠である藤井保さんでした。藤井保さん版は、現在の座組みではなかったので(プロデューサーのJくんは2016年度版から)、今回の撮影の合間に、はじめて聞くはじめての頃の話が深かったのでした。あれだけのことがあったというのに(もしかしたらあれだけのことがあったからこそ)、初年度の気仙沼漁師カレンダーは世界を目指したそうです。世界の人たちに気仙沼の宝ものである漁師さんのカレンダーを見てもらいたいと。そう強く願ったのは、気仙沼つばき会というグループの女性たちでした▼半径3〜5メートルぐらいの世界観しか持っていない我が身と比べて、なんとスケールがでかくて視野が広いことか。ボクシングのミット打ちでいうと、バシッと殴られたパンチを受け止められずに1メートルほど弾き飛ばされたかのような衝撃でした。そして、その衝撃で気づいたのです。漁師さんはもちろんですが、僕は気仙沼つばき会のメンバーの話を聞くことも大好きで、それらのものを全部を含めて気仙沼漁師カレンダーのインタビューだったのだなぁと▼おっと、センチメンタルには、まだ早いのでした。瀧本さんの撮影は圧巻のうちに幕を閉じたのですが、担当ライターはただの1文字も綴っていないのですから。まずは、春先に追加取材を重ねつつ、ラストのカレンダーもまた、主語=漁師さんの原稿を目指すぞと心新たな週末です(唐澤和也)