20230212(日)
100000000

▼最近の天気予報はすごいです。金曜日の朝から70%の確率で降ると予想されていた雪は見事に舞い、その正確さのせいで、かなりドキドキさせられたのでした。なぜなら、夕方4時の新幹線で京都への出張を予定していたから。なにかと慎重な令和という時代。新幹線も様子見となるやもです。出ないことには着けません。でも、午後2時すぎには雪にまつわる注意報的なものがすべて解除になったので、予定通りに運行、ドキドキも解除。到着予定時刻は、17時57分。新幹線に限らず、日本の鉄道の正確さには外国人の方が感動すらするそうですが、天気予報や列車の発着時刻表などにおける数字って、かなり頼りになります▼体重計関連の数字も然り。BMI値だとかのいろいろなものが数値化され、京都出張当日の僕の肉体年齢は48歳。その前日は47歳だったので1日で1歳衰えたことになります。(わずか1日でいったい俺になにがあったのか?)とお手軽なミステリーのようなエンタメ感覚でその数字を楽しめています。でもですね、たとえば映画の興行収入100000000円突破って、どうなんだろうと。たしかにその数字はすごいけれども、それを書いた人は思考停止ではないか。だって、興行収入100000000円突破の映画が10本あったとしても、すべてその見出しで注目を集めようとしているのだから。なので、記事の見出しにその手の数字が踊る風潮は個人は苦手です▼京都出張は少年野球の取材・撮影でした。そこで日本一にもなったことのある監督にインタビューできたのですが、数字とは真逆の話が興味深かったのでした。学生時代ならではの野球というものもまた素晴らしいと。お金や家族のこと、つまり(数字がついてまわる)生活のことをなにも考えずに、野球に全力で向き合える時期特有の素晴らしさがある。言ってみればそれが青春ってやつだと思うのですが、小学生の青春もたしかにあるとその監督は教えてくれたのでした▼ということは、逆説的に言えば、生活のことを考える季節の元少年、つまり大人という生き物って、数字とは無縁ではいられないのでしょうか?▼はい、無理ですね。無縁ではいられない、残念ながら。だって、それが大人ってものだから。でも、それはマイナスなことだけじゃなく、それこそ、少年野球に夢中になっている子供を持つ大人だとしたら、彼らの熱のために生活費を稼ぐぞというプラスの意味の数字目標だってできそうです▼ところで、この原稿を書いているのは日曜日の夜で、京都から戻っての東京なのですが、実は、金曜日の新幹線の中で書き始めた当初のプランでは「数字に勝てるなにかってなんだろう?」でした。勝ち組負け組という言葉がうまれた頃から、数字全般のことがあまり好きではないと思っていたからです。年収10000000円以上は勝ち組だとかの単純化には、苦手どころか嫌悪感すらありました。でも実は、数字に一番囚われていたのは、自分自身だったのかもしれません▼「M-1」のことを考えてみました。あの国民的イベントの優勝賞金は、10000000円。大会創設者の島田紳助氏が、漫才への恩返しのために同大会を考案したのは有名な話ですが、2000年という大会開始前夜は漫才への注目度がいまほどには高くありませんでした。そこで島田紳助氏は、参加者はもちろん世間の注目を集めるために、同様の大会やコンテストでは破格の賞金金額=10000000円と設定します。その設定金額は、2023年まで続く「M-1」への盛り上がりを考えるとさすがの妙手のひとつ。実際に、その高額さが話題になりましたし、当時の取材者たちは(いまもですかね?)優勝賞金10000000円の使い道をこぞって聞いたものでした▼ところが、その数字の持つ意味が年月を重ねて変わってきているように思ったのです。2023年現在、コンビ結成15年以内の漫才コンビたちは、もはや優勝賞金10円でも参加を決めるのではないか。だとするのなら、10000000円よりも魅力的なもの、それは「M-1」王者そのものであり、数値化できない「名誉」と呼ばれる類のもの。しかも、その名誉はふわふわしたイメージ然としたものだけでなく実利も伴っており、「M-1」の王者となった翌日から仕事が増えることを覇者たちが証明しています▼数字。たしかなようで実はあやふやなもの。「M-1」の優勝賞金が追い風参考ぐらいのアイコンになっているように、「映画の興行収入100000000円突破」だって同様かもで、目先の嫌悪感に囚われていたのは自分自身でした。その見出しに続く素晴らしき記事だってあるかもしれないのに。そもそも、「数字に勝てるなにかってなんだろう?」とのテーマ設定自体が勝ち負けを主題としているとも言えるわけで、そういう勝負こそが数字の得意とするところでもある。映画の興行収入なんてその極みですもんね。そうじゃなくて、たとえば京都の少年があまりにも絶好球すぎて空振りしてしまったど真ん中の直球に「あッ!」と短い声を出してしまった瞬間の気持ち。喜怒哀楽とはまた別の感情のようでもあり、そのすべてが詰まったようでもあった「あッ!」。ああいう瞬間を文字化していけたらなぁと一周まわって原点に戻れた週末です(唐澤和也)