20221210(土)
蹴球W杯禁句質問考
▼サッカーワールドカップが終わってから、ずっと考え続けていることがある▼実際には、ワールドカップは終わっていないので、このはじまりの文章がすでに〝にわか〟だということの証左。正確には、日本がベスト16で敗退しただけで、熱戦は続いている。もしかしたら決勝だけは見るかもしれないけれど、まぁ、その程度。なので、ずっと考え続けていることはサッカーのことじゃない。インタビューのことだ▼サッカーファンではない僕ですら苛立ちを覚えたのだから、コアなファンの方々はどのような心持ちだったのだろう。クロアチア戦終了後のインタビューのことだ。とくに森保監督に対してのそれには違和感がありまくりで、すでに監督が答えている内容を再度口にしなければならない質問だった。苛立ちすぎてメモをとるのを忘れてしまったが、たしか「日本の国民の皆さまへメッセージを」といった内容だったと思う。森保監督はすでに、ひとつ前の問いで日本国民への感謝を口にしていたのにそう聞かれたら繰り返すしかない。さっきと言ってることがまったく変わってしまうのもなんだし。なんだかなぁであった▼でも、である。紙媒体を中心に仕事してきたという媒体の違いはあれど、インタビューの難しさも知っているつもりだ。とくに動画の、しかも、あの激戦のあとの生のインタビューの難しさといったら、僕には経験のないレベルの難易度だとは思う。担当された方はかなりの重責ではあったであろう。でも、そのうえで、だったら、いっそのこと、「最後にメッセージを」は禁句質問にしちゃったほうが創意工夫をするようになるのではないか。プロ野球日本ハムファイターズの新庄監督も同様の主旨のことを言っていて「あの質問には正解がない。だいたい同じ答えになっちゃう」と質問に答えるインタビュイーとして心情を語っていた。読者や視聴者としての僕は、はげしく共感した。さらに、質問を投げかけるインタビュアーとしては、あの質問に対して別の違和感があって、それは(楽なんだよなぁ、あの質問は)ということ。なんとなくオチがつくというか、まとまった気がしてしまうオールマイティな質問。ということは、その質問をする時点で〝その現場、その人ならでは〟の可能性を放棄しており、思考停止しているともいえる▼もちろん、自省も混みだ。ライター人生で何度かは、最後にメッセージをとは聞いてしまっているはずだから。たいがいそういう時は、いまひとつ手応えがなくて、どうしようどうしよう、これじゃ締まらないぞと焦って聞いてしまうことが多かった。だからこそ自省こみで、今後はせめて自分ぐらいは「最後に読者にメッセージをお願いします」という問いは、完全に禁句質問にするぞと、いま決めたのでした▼さて、元メジャーリーガーのイチローさんは、記者の質問のレベルに対して、それはもう厳しかったという。おそらくサッカーの中田英寿さんもそうだったのだろう。いっぽうで、サッカーワールドカップ関連の紙媒体の質疑応答では読み応えのあるものも多かった。たとえば、森保監督へのインタビューで「今日の試合の問題点について」のくだりで「逆にどこが問題だと思います?」と森保監督に問われて、自身の感想を咄嗟に返して「おっしゃる通りです」との監督の言葉を引き出し以後も流れるようなインタビューを展開していた記者の方もいた。おもしろかった。紙だからなのか? それとも動画でもすごいインタビューはあったのに、にわかな僕は見逃しているだけなのか? ひとつ言えるのは、専門性は重要ということ。って、当たり前ですよね、そんなことは。でも、そんな当たり前のことにサッカーワールドカップが終わってから、ずっと考え続けて、ようやくたどりついたのだから、当たり前で済ませてはいけないような気もする▼もうちょっと粘ってみると、専門性にもいろいろあるのではないかなぁと思いあたった。評論家や元プロ選手のような専門性がひとつ。こちらはわかりやすく必要とされる専門性だ。もうひとつは、たとえばサッカーならばサポーターとしてこの競技が好きで、他者との比較ではなく自分のなかでは趣味の領域をこえており、もはや人生のひとつだと言えるところにサッカーがあるというような専門性。サッカーの専門性というより、サッカーファンの専門性とでも言えばよいのかもしれない。いずれにせよ、前者をプロフェッショナルとするのなら、後者はグレートアマチュアリズムで、後者の専門性は生活の糧にはできないことのほうが多そうだ▼そういう意味での専門性ならば、僕は完全に後者の書き手だと思う。阪神もヒップホップも漫画も笑いも独自の評論ができるレベルのスキルはもっていないけれど、好きな選手やアーティストや漫画家や芸人にだったら、なにかしらの手応えがあるインタビューができるのではという淡い期待感が、昔もいまもずっとある▼グレートアマチュアリズムだけではプロフェッショナルでい続けることは叶わなかったのだろうけど、自己分析が心底苦手なので、僕のなにがプロフェッショナルなのかはよくわからない。なので、アマチュアの部分にフォーカスすると、〝好き〟ってやつはけっこうあなどれないぞと思うのだ。たとえば、クロアチア戦後の森保監督のインタビューを担当する人が、サッカーが好きで、代表が好きで、あと一歩というところでの敗退が残念でたまらずに思わず泣いちゃって「悔しいです!」と質問にもなっていない思いを監督にぶつけたとしたら。監督はどんな言葉を紡いでくれたのだろうか。あの場面で泣いちゃうだなんてインタビュアーとしておよそプロ失格の烙印を押されるのかもしれないけれど、少なくとも僕は「日本の国民の皆さまへメッセージを」という定型質問よりも聞いてみたいなぁと思う。東京オリンピックではそれに近いインタビューによる感動があったようにも思うのですが、みなさまいかがなものでしょうか(唐澤和也)