20221119(土)
インタビュられて秋
▼前略「キャリアデザイン」という言葉をご存知ですか? なんとなーく、語感からイメージがつきそうなカタカナではありますが、僕にとっては想像を超えるニュアンスが含まれていた。一説には「自分のキャリアを主体的に設計すること」であると。〝主体的に〟ってのがいい意味で引っかかった。これなら、いけるかも? なにが? 講義的な、授業的な、まぁ、べしゃりがである▼大学生のみなさんに、ゲストスピーカーとして話をするらしい。お世話になっている先輩がその大学で教鞭ってやつをとっていて、その講義テーマがキャリアデザインであると。実は3年ほど前にも同様のゲストスピーカーを担当させてもらったのだけれど、それはまぁ美しいまでに、ダダすべりだった。人前だろうが聞くというのならなんてことはないけれど、人前でしゃべるのは大の苦手で、そんな苦手意識のなせる技、別名空まわりだった。もっと他の言葉を探すのなら、かっこつけてしまったのだと思う▼でもその時といまとでは自分のなかでなにかが変化している気がする。喜怒哀楽とはまた違う、まだ名付けられていない感情を手に入れられそうな予感がある。個人的にはまったくもって見分けがつかないザ・たっちという双子コンビの違いのようにわずかな差異だけれど、ものの見方や受け止め方が変化している、気がする▼今回のゲストスピーカーの件にしても、矢印が自分ではなく学生へと逆向きになった。つまり、自分が(なにをしゃべろう?)ではなく学生さんが(どんなことを聞きたいんだろう?)という変化。だから、「キャリアデザイン」という言葉を試しに調べたりもしたし、なんとなーく、このへんのことかなぁと話すポイントも定まったように思う▼大学生のみなさんに、ゲストスピーカーとして話をした。聞き手である学生さんが感じた本当のところはわからないけれど、3年前に比べればましだったと思う。少なくとも〝ダダ〟はスベっていなかったのではないか。ましにはなれた理由は、先述した自分の変化よりも、インタビュアーの存在が大きかった。教鞭をとっている、とってもお世話になっている人(仮に&氏としよう)のおかげだった。&氏の進行および質問が素晴らしかったのが3年前よりは手応えを感じられた大きな理由。つまり、ふだんの仕事とはまったく逆の体験であったということ。聞かれたからしゃべる、しかも自分の意識が(なにをしゃべろう?)ではなく(どんなことを学生さんは聞きたいんだろう?)にシフトしているということもあって、&氏の質問のおかげで忘れていたことを思い出したりもした▼講義的なものの内容はといえば、僕のキャリアを聞かれるがままに答えたということ。話ながら思ったのは、ずるいよなぁ、だった。実際にそうなのだから嘘じゃないんだけど、僕のキャリアのほぼ8割が出会いのおかげだったからだ。師匠、出版界のふたりの社長、インタビューさせてくれた人たちとの出会い。その人たちとの出会いがなければ、こういう人生、今回の講義風にいうのなら、こういうキャリアはデザインできてはいなかったと。でも、それがずるいよなぁ、だ。自分が学生だったら、「そりゃあ過去を振り返ればそうでしょうよ! でも、そういう出会いってどうすりゃできるんですかってことを教えてくださいよ!」と。ちょっと前の僕ならば「うるせぇよ! そんなもん自分で探せよ!」とキレ澤化していただろうから自己の変化が不思議で仕方ないけれど、とにかくいまの僕が想像する学生だった頃の自分ならば、ずるいよなぁ、であると。そんな話もしたうえで学生さんに重ねたのは「人それぞれ」というベタにもほどがある定説だった▼でもですね、本当に人それぞれだと思うのです。前提として、出会うために必要なものは「行動」であることは間違いない。ここはたぶん「人それぞれ」ではない。考えることは大切だけれど、出会いを主語とするのなら考えるだけでは出会えないのだから。そして、行動の仕方こそ「人それぞれ」でいいんじゃないかなぁと思ったのです▼たとえば、僕がお世話になってきた芸人の世界では、鶴瓶さんと太田光さんという好対象のふたりがいる。鶴瓶さんはわかりやすい意味での行動の天才で、動いて旅してしゃべってるから出会いの天才でもある。でも、じゃあ太田さんが行動していないかといったらそんなことはなくて、高校生時代もひたすらに本を読み、映画を見て、ラジオを聞くという行動を重ねた。友達がひとりもいなかったというのに学校へ通うという行動も重ねて皆勤賞だったそうだ。そんな太田さんだからこそ、大学でのちの相方の田中さんに出会えたし、ビートたけしさんや藤城清治さんといった、かつて自分が好きだった人とちゃんと出会えている。どちらがどうじゃなくて、どっちもすごい。そういう意味で行動なんて「人それぞれ」だと思うんですよねぇ。そんな話をした▼矢印を自分方向に戻してみる。なぜ、僕はまだ名付けられていない感情を手に入れられそうな予感があるのだろう。なにをどう考えてもきっかけとしてはあれが大きいので、父のプレゼントだと勝手に思うことにしている(唐澤和也)