20221111(金)
魔法のコンディショナー
▼ジェンダーレスなこの時代ならば、男子もコンディショナーを使うんだろうか。リンスとどこが違うんだかよくわかんないけど、使うんだろうなぁ、令和の男子は。ところが、昭和なおっさんの場合、コンディショナーが減りゃしない。引っ越しをして、でも、無駄にならぬよう、旧宅からいろんなものを新宅へと持ってきたそのうちのひとつが、コンディショナーだった。持ってみて、びっくりした。ずしりと重い。新製品ならば重いのも合点がいくが、このコンディショナーを手に入れたのは5年も前のこと。魔法か? 使えども減らぬマジカルなコンディショナーなのか? 否、5年間でこのずしりは、ほとんど使用していなかっただけのこと。そもそも、高校生の頃からいまに至るまで、まぁまぁの短髪な僕はコンディショナーなんぞを必要としない。じゃあなぜ、我が家にずしりと鎮座ましましているのか。魔法か?▼5年前、コンディショナーを入手した場所は富士山だった。5年前の僕は50歳だったのだけれど、雑誌の企画で人生初の富士山登山を目指すこととなる。どうせならと山開きの日を選ぶ我々取材班(といってもカメラマンと僕のふたり)。どのタイミングでご来光を狙うかなどの計画を練りに練って、前日から五合目で宿泊し朝イチでのぼり始めるプランとなる。その時だった、コンディショナーが僕の右手に握られたのは▼富士登山自体が人生初のことなので知らなくて当たり前なのだけれど、山開き前夜の富士山五合目では地元のお祭りが開かれていた。もちろん、野次馬根性全開で参加する僕たち。その宴のラストを飾ったのが、勝てば景品がもらえるジャンケン大会だった。ふーんてなもんで呑気に見ていたら、地元の人以外も参加OK、是非是非ご一緒にーといったフランクさだったので「最初はグー!」とか一緒になって叫ぶ僕。欲がないのがよかったのだろう。飛び入りゲスト的な立場なのに、けっこうな序盤戦で勝ってしまう。「じゃ、これで」とシャンプーだと思って選んだのが、のちのずしりと重いコンディショナーだった。フランクな参加者たちの拍手につられて「どうもー!」などと調子にのって右手でそれを掲げた気がする。シャンプーじゃないとも知らずに。ちなみに、翌日の富士登山ではそのコンディショナーの重みに負けたわけでもないだろうが、山頂からのくだりで完全に左膝をやられてしまい、小学生よりも遅い速度でドナドナと下山したのだった▼50歳はいろんな意味で人生が動いた年だ。一番は、事務所をもったこと。干支が一周するぐらい住むほどに気に入っていた街・武蔵小山時代は自宅兼事務所だった。そこからの引越し&ライフスタイルの変更はかなりの出来事だと思うが、その時の僕の場合は積極的な決断ではなかった。なにかをやりたいといった目標なんてまったくなく、うしろ向きにこう思っただけだった。(このままじゃダメだ)。50歳が人生が動いた年ならば、40代は完全に停滞していたのだと思う▼そんなスタッグしまくりな40代の後半から漠然と考えたことが(50歳でなにかしなきゃ!)だった。はっきりと、焦っていた。焦燥の理由のひとつは、勝手に心の師と仰いでいるふたりの大先輩にとっても50歳がターニングポイントだったから。糸井重里さんがほぼ日を立ち上げたのがが50歳だった。笑福亭鶴瓶さんが落語と本格的に向き合ったのが50歳だった。(ならば俺は?)。会社を構えるほどの甲斐性はなく、鶴瓶さんにとっての落語的な新たな目標もない僕がせいいっぱいあがいてだした結論が、事務所を持つということだった▼20代の頃は、「インドに行くと人生が変わる」みたいなことを言ってる人たちが大嫌いだった。環境を変えたぐらいで変わる人間性ってそもそも浅すぎやしないのかと。人生は変えるもんじゃなくて作るもんでしょと。青っちょろくも真っ直ぐにそんなことを思っていたのだけれど、たぶん、インドに行くと人生は変わりますね。だって、事務所を持つという、ちょっとした環境の変化だけで僕の人生はがらっと変わったのだから▼そんなわけで、事務所を持つという引越しは自分的には大成功だった。プライベートと書くとなんだかむず痒くなるが、公私をわけようと。40代の停滞期で(このままじゃダメだ)を形から変えてみようと。ならばと、自宅にはインターネットもひかずノートブックパソコンも持ち込まなかったし、事務所には大好きな漫画は置かず、仮眠できるなにかしらのものを備えなかった。その代わり通勤は徒歩10分圏内と決めていた。40代の停滞期、いや、もっとか。28歳でライターになってから通勤という概念がない身としては、電車に乗って自宅から事務所に通うという行為は無理だと思ったからだ。でも、不思議なもので、その10分間で公私の切り替えはできるようになっていった▼さて、55歳である。50歳の時の引越しはいい変化だった気がするけれど、55歳の今回の引越しはどうなんだろう。糸井さんや鶴瓶さんは55歳の時になにをしていたのかな。とりあえず、コンディショナーを使いきってみようと思う(唐澤和也)