20221029(土)
あまじょっぱい人生

▼突然に、父がこの世を去った。まだ、心の整理がついていない。悲しみに暮れてさめざめと泣き暮らしているわけじゃなくて、いや、涙とも無縁ではないのだが、なんだか複雑な感情が行き来するという整理のつかなさ加減。たとえば、日曜劇場の『アトムの童』を見ていての感情は涙方面の前者だ。この枠のドラマの最大の楽しみはカタルシスなので、そのシーンは伏線でありシリアスな方向にはいかないとわかっていても、登場人物のひとりである初老の男性が倒れて入院という描写だけで、やばい。涙が込み上げてしまう。頭ではなく心が、一瞬でドラマと現実をリンクさせてしまう▼父は享年87歳だったので、こういう日を考えないではなかった。けれど、通夜や葬儀でも、まさかここまで涙がでるものだとは想像だにしなかった。でも、涙方面はまっすぐな感情でいいと思う。肉親を失うのは哀しい出来事なのだから。複雑なのは涙方面とは逆の感情で、たとえば、父の死の10日後に引っ越しをしたのだが、そのことにまつわるありとあらゆることが楽しくて仕方がない。こんなに楽しくていいいのかよと思う。もしも僕が大富豪の未亡人だったら、世間から白い目で見られるであろう浮かれっぷり▼突然の父の死以前に計画していた引っ越しは、僕にとって超の付く待望の出来事ではあった。前回の引っ越しは武蔵小山から学芸大学へのもの。当初の予定では2年でその部屋を去ると決めていた。けれど、襲ってきたコロナ禍という予期せぬ出来事。結果的にどうにか乗り切ることはできたけれど、自粛と散歩と自炊の日々は、引っ越しどころではなかった▼そもそもなぜ学芸大学へと引っ越したのか。ある出来事をきっかけとして事務所を持つことを決意し、ならば自宅の家賃は節約しようと学生時代のような1K生活を思い立つ。だからこその2年間限定だった。初期コロナ禍時代は、1KのK、すなわち台所に立つようになったけれど、1Kの1のほう、すなわち部屋は、リビングであり寝室であり収納スペースでもあった。ある意味で1じゃなくて3だ。そんな3で1な部屋では狭すぎてベッドは無理なので、シングルサイズの敷布団とマットレスを買って、毎朝毎晩、畳んで、そして敷いた。旅館の中居さんのように。お風呂は蛇口をひねって温度を手で確認して、たまるのを待つアナログなシステム。待ってる間に寝てしまってお湯が溢れるあるあるな経験も学生時代以来だった▼そんな学芸大学1K生活を経たからこその引っ越しが今回だったというわけで、そりゃあ楽しくないわけがない。まず、部屋が広くなった。そして、風呂の追い焚き機能というデジタルな素晴らしさ。3日前に納車された自転車も楽しい。街の見え方が徒歩とはまるっきり変わるのがおもしろくて仕方がない▼でも、父はこの世を去ったのだ。小学生の時、はじめてのキャッチボールでいきなりカーブを投げてきて少年だった僕の度肝を抜いた父も、まっすぐで短気ですぐに怒鳴り散らす父も、逆にそのギャップもあって笑顔がやけにかわいい父も、つい最近「お前はあんまりがんばらなくていいぞ」と遠回しに僕の仕事っぷりを認めてくれた父ももういないのだ▼まだまだ心の整理はつかないし、無理につける必要もないのだろうけど、灯りのような言葉がふと救ってくれた。音楽プロデューサーの松尾潔さんがリスペクトしているという伊集院光さんにまつわることをコラムとして綴った言葉だった。伊集院さんも師匠である六代目三遊亭円楽師匠を亡くしたばかり。そんな伊集院さんのラジオ番組のリスナーが、円楽師匠の死にショックを受けている時に娘さんの妊娠の知らせを聞き「悲しいこととうれしいことが一気にやってきました」と複雑な思いを告げる。それを受けてのラジオパーソナリティ・伊集院光が圧巻だったと綴る松尾さんは、その時の言葉を書き起こしてくれていた。「お塩を入れすぎたからって砂糖を入れてもゼロにならない。だけど『あまじょっぱい』って複雑かつ深い味になるじゃないですか。だから、師匠が亡くなって悲しい、お子さんを授かってうれしいって、同時ですごい良いと思います」▼あまじょっぱい人生。そういえば、父の好物があまじょっぱい、みたらし団子だと知ったのは、学芸大学1Kに引っ越す直前の武蔵小山時代だった。大阪出張の流れから、愛知県の実家に帰省する前に、関西出身の知人にすすめられた新大阪駅で売っていたみたらし団子を、自分が食べたくてお土産に買って帰ったら、あっという間に父に平らげられてしまったのだった。「え? お父さん、みたらし団子が好きだったの?」と僕が聞くと「うん。食べすぎちゃったな」と父は笑ったのだった。あのかわいらしい笑顔で(唐澤和也)