20220924(土)
今度は本当に×××からな!

▼闇金サイハラさんが、おもしろい。あのウシジマくんのスピンオフ作品なのだけれど、髙橋メアリージュン演じるサイハラさんがやばい。ウシジマくんのライバル的同業者なので、職業は闇金業者。もっといえば、トップなので女性経営者だ。おまけに美人。でも、育ちのせいか犬のように皿に顔を近づけて食す様からしてやばい。時折、高音になって叫ぶんだけど、なに言ってんだかよくわかんないのもやばい。やばすぎて笑ってしまう。関西弁で「なんて?」と笑いながら聞きたくなる。関西人じゃないのに▼今シリーズは、ネットフリックスでの配信連続ドラマ。どうにも気になったので、1周見終わってから今週の高音シャウト場面を探して字幕機能で確認してみた。あるアイテムを使って債務者に追い込みをかけている場面なんだけど、謎の高音シャウトは「今度は本当にミンチにするからな!」であったという衝撃。やっぱり、笑ってしまう。サイハラさん、怖ぇなぁとビビりながら声を出して笑っていた▼爆笑できる週末って素晴らしい。気がつけば9月の最終週。書くほうの〝週末〟は週の頭にぼんやりとテーマ的なことを考えてみたりするのだが、この月曜日にふっと思い浮かんだのが「散髪」だった。あれは、中学生だった頃。ニキビ面の少年だった私は「イトウ理髪店」に毎月自転車で通っていた。ふつうといえばふつうの出来事だろう。でも、いま思い出すと不思議なのは、私が坊主頭だったということ。坊主なのに、理髪店って。しかも毎月って。昭和の田舎の私が通っていたその中学校は、男子生徒は全員坊主頭と決まっていたのだった▼サイハラさんもウシジマくんも、中学生時代は超ヤンキーとして描かれている。映画でのウシジマくんはヤンキーな髪型ではなかったけど、ウシジマくんの右腕・柄崎は金髪だった。我が母校のヤンキー君たちはどうしていたんだろう。プロのバイクレーサーでもこけるであろう急角度の剃り込みを入れていたような気がする▼そういえば、中学3年生の時には、となり街の中学の不良たちがぞろぞろと殴り込みにやってきたことがあった。健全な部活少年だった私は、我が母校のヤンキー君たちのうしろに隠れてビビりながら彼らを見ていたが、なによりも怖かったのは、彼らが坊主頭じゃなかったこと。リーゼント、なんだったらパンチパーマもいたような気がする▼リーゼントやパンチパーマならば、それなりのお手入れが必要だろう。でも、繰り返すが私はただの坊主頭。なのに、毎月の理髪店って。しかも、そのわずか1年前の小学6年生までは母親にカットしてもらっていたというのに。その頃は坊主頭じゃなかった。いたってふつうで、ドラえもんでいうとのび太くん的髪型だった。母親は元プロの理容師だったから、坊主頭なんて、バリカンでさっとかりこめば、のび太くんカットよりも楽勝だっただろう。実際、我が家には母親が現役時代に使っていた、握力を鍛えるハンドグリップのように握り込むごとにかりこめる手動のバリカンがあった。なのになぜ。もちろん、思春期の訪れだった▼私が育った県営住宅は、縦に8棟ほどの平家が並んでいた。A棟、B棟とアルファベットでわけられていて、のべ200世帯ほどが暮らしていただろうか。映画でいうと『ALWAYS 三丁目の夕日』的長屋のちょっとだけ進化版といった感じ。道はアスファルトだったから土ぼこりは舞わなかったけれど、お風呂は薪でこそなかったものの、オガライトというオガ屑を固形にした人工燃料で沸かしていた。4畳半もない小さなキッチン。6畳間がふたつ。庭には父親が勝手に建てたであろう1間のプレハブ家屋。そのプレハブにおばあちゃんが住んでいた。子供部屋なんてもちろんなく、仏壇が置かれた部屋の残ったスペースを姉とふたりでわけあっていた▼そんな狭い家でどうやって私の母の「唐澤陽子理髪店」が営まれていたかというと、玄関のドアをあけた入口的スペースだった。1畳もない小さな小さな即席の理髪店。丸椅子に座った私にビニールの散髪用マントがばさっと覆われる。目の前は公道である。当然、近所のおばさんが、こぎれいなのび太化していく様子を見て「あら、和也君いいわねぇ」などと見物していく。小学生までは「こんにちわー」とか言いながら笑っていられたが、ある意味で凶暴な思春期ってやつは、そんな大らかさを少年の心から一気に奪い取る▼おばさんに見られるのも恥ずかしかったが、それ以上に厄介だったのは同世代の存在だった。私はB棟4号に住んでいたのだが、4号が属する縦8棟の長屋は、1号と2号と6号に3人も同級生がいるという奇跡的な高確率棟だった。同級生の親全員が理容師だったのなら丸く収まるが、そんな奇跡的な運命のいたずらを神が許すわけもない。私以外の誰ひとり、1畳間の即席理髪店で髪を切ってもらってはいない。かくして、中学生となったある日から「唐澤陽子理髪店」は閉店となってしまう▼いま思うとちょっと残念な気もする。せめて、坊主頭の中学3年間ぐらいは母にカットしてもらっていてもおもしろかったなぁと。でも、なんだかんだ言っても「唐澤陽子理髪店」のひとときがいい思い出にはなっているし、いまだに髪を切ってもらうのは大好きだ。そういえば、人生で一度だけ金髪にしたことがあるが、その話はまた別の週末に(唐澤和也)