20220917(土)
暁の九蓮宝燈
▼書くのが難しい漢字の代表格は薔薇だけれど、読むのが難しい漢字筆頭は九蓮宝燈で決まりだろう。ちゅうれんぽうとうと読む。麻雀の手役の最高峰とも言える役満(やくまん)、そんな役満の中でもレア中のレアなのが九蓮宝燈だったりもする。週に3日は神保町に通っていた頃、小学館の編集者やフリーランスのライター、カメラマン、スタイリスト、印刷所の営業マン、はては劇団の役者やマイメン西村くんなどが集まって麻雀部といえるほどにハマっていた時期にこの役満最高峰をあがったことがある▼役満最高峰といっても、それがどれぐらい難しいのかなんて、麻雀をやらない人にはイメージしにくいことだろう。ゴルフでいうと、ホールインワンみたいなもんなのだろうか。いや、すみません。このたとえは失敗でした。私自身がゴルフをやらないので言い切れないけれど、たぶん、ホールインワン=役満で、九蓮宝燈は、ものすごっく難しいコースでのホールインワンなんじゃなかろうか。あるいは、「難航十字語判断」とかいう難易度の高いクロスワードパズルを辞書なしで回答できる感覚か。これもどうなんだ。「難航十字語判断」を辞書なしで解いたことがないのでよくわからない。「あの人嫌い!」と一旦閉ざされた女心を再び開くほどには難しくないかもだけれど、とにかく九蓮宝燈をあがりきる難易度は高い▼振り返れば、神保町麻雀部は何回目かの青春的活動だった。なんであんなに楽しかったのかなぁと考えると、たぶん、先にあげた職種だけでなく、いろんなタイプの人々が集まっていたからだと思う。出版の街である神保町での部活だったので〝出版〟というゆるいくくりはあったものの、あんまし仕事の話はしていなかったような気もするし。将棋でいうところの感想戦というのか「なぜ、そこでリーチなのか?」とか「なぜ、あの他者の待ち牌を読み切ったのか?」とか、麻雀そのものの話がほとんどだった気がする。その打ち方も人それぞれで多種多様。それがおもしろかった。麻雀部のメンバーとふたりでふつうに飲んでいたのに感想戦をしているうちに打ちたくなり、必死になってあと2人を探したこともよくあった。あの頃の私たちは若かった。神保町で徹マンを終え、その足で新宿に向かってさらに打ち、合計24時間麻雀していたこともあった▼多種多様だった参加メンバーとはいえ、共通していたのは役満が大好きだということ。科学的裏付けは一切ないけれど、全自動卓との名称通りに、麻雀の牌を自動的に混ぜてくれるあの機械は、役満を狙う人が多い卓では役満のチャンスが増えるんじゃなかろうかと思う。そうじゃないと理屈にあわない。年間50日ぐらいの部活動で、競技回数を1日10回とすると年間合計500回。そのうち、年間10回ぐらい役満をあがっていたのだから。私だけでなく私以外も。あれは、ちょっと異常な確率だった。ちなみに、私があがったことのある役満は、国士無双、国士無双13面、四暗刻、四暗刻単騎、大三元、字一色、小四喜、緑一色。麻雀をやったことのない人には、なんだかおいしそうな中華料理名のような字ヅラですね。さすがにめんどくさいので読み方は割愛するとして、そして、九蓮宝燈である▼さきほど、ゴルフやクロスワードパズルや女心の例をあげて、その難易度を説明しようとしたけれど、もっとわかりやすいのがあった。神保町麻雀部はもちろん、当時の麻雀好きの間ではこんな言葉がささやかれていたのである。(九蓮宝燈をあがると死んじゃう)。阿佐田哲也氏原作による映画『麻雀放浪記』の影響だった。ちなみに本作は、白石和彌監督の手により『麻雀放浪記2020』というぶっ飛んだリメイクもある▼明け方だったと思う。神保町のとある雀荘。麻雀にはツモあがりと「ロン!」と言って他者の捨て牌であがる2つがあるが、その暁の九蓮宝燈は「ロン!」なあがりだった。あがったのは、後輩のMくんが切った「五萬」。めちゃめちゃうれしかったのと同時に、めちゃめちゃビビったことを覚えている。だって、一説には死んじゃうんだもの。せめてもの禊として、その日の雀荘代や飲み物代をおごらせてもらった記憶がある▼九蓮宝燈をあがったことがある私は運がいいのだろうか。神保町麻雀部では、弱いほうではないけれど最強というほどではなかったから、腕前がものを言ったわけではない。やっぱり、運なのだろうか。運かぁ。運ねぇ。かつての麻雀部の日々からすると、ものすごくライフスタイルが変わったのだなぁと思うけれど、最近では運について思うと、まっさきに浮かぶのが天気だ。アウトドア系の仕事は天気に左右されることもあるからだが、晴れたからといって「俺って運がいいなぁ」などとは思えず、ただただ手をあわせたくなる。なにに対しての感謝なのかはよくわからないけど、ただただそうしたくなる。ただただ歳をとっただけなのかもしれない。九蓮宝燈をあがった時などは、手をあわせたくなるなんて感情を抱くはずもなく、「ナイス俺!」「俺、最強!」ぐらいの傲岸の彼方にいたのだから▼運という単語に対してのパンチラインならばすぐに思いつくものがあるが、芸人用語でいうところの〝こすりすぎ〟(言いすぎ、書きすぎなど、使いすぎのこと)なので今回は差し控えつつ、自分なりの腑に落ちる言葉を探していきたいと願う週末でした(唐澤和也)