▼フリーランス、および、それに近い働き方をしている人ならば、多かれ少なかれ悩みの種なのが休み方ではなかろうか。「働いたら働いた分だけ稼ぎになるから」とのガソリン的イズムはキャリアを重ねるうちに忘れ去られて、「やっぱりインプットは必要だよね」との言葉に上書きされるも、休んだら休んだで休み明けのあまりの多忙さに「あぁ、休むんじゃなかった」となる。つまり、右往左往。フリーランス的立場になって幾年月、いまだに理想の休み方がわからないけれど、今回のお盆休みはいい感じだったように思う▼お盆休み前日が大型企画の入稿日だったので、書いて書いて書いて&禁酒というストイックな日々を経ていたというのがよかった。がっと働いてぬるりと休む。しかも、ストイックな日々に休みにやりたいことをメモったりと、休むことに対してもストイックだったのがよかったのかもしれない▼とはいえ、休むことに対してストイックだったといっても、とにかく睡眠、なにはなくともエンタメというだけのこと。8月11日木曜日の祭日から休みだったのだけれど、その前日の夜から10時間は寝て、翌日の夏休み本番開始は〝昼寝〟トータルで3時間は寝てしまう。それまでの禁酒生活を解禁して昼間っから冷やし中華をさくっと作り、当然のごとくビールをグビったという久しぶりのアルコール効果もあったのかもしれない。驚くべきは、そんだけ昼寝をしたのに夜になったらふつうに眠くなってきて、ぐっすりと寝たということ。目覚ましをかけずに▼あけて、12日からがエンタメ三昧本番開始だった。これぞ、大人買いと言っちゃっていいだろう。一度はコミックスを全巻集めるも、なんとはなしに手放してしまって、だがしかし、最新刊がおもしろくていま一度最初から読み直したくなりブックオフに走った『呪術廻戦』。そんな大人買い&一気読みした漫画から、テレビのドラマ&ドキュメント、はたまた映画まで。繁忙期は、なぜか漫画しかエンタメとして受け付けなくなるので(それ以外が読めない、見れない)、とくに映画は夏休みのお楽しみだった。学芸大学、祐天寺、中目黒、武蔵小山とさまよったツタヤの日々も遠い昔。出世魚ぐらいに変わり身が早くて我ながらびっくりするが、ネットフリックスとアマプラを普段使いしている私。けれど、この夏休みは8月10日の仕事終わりに渋谷のツタヤへ行き、あてどなくタイトルを眺めているだけで幸せだった。結果、10本も借りてしまい、何本かは見ずに返却するという憂き目をみることにはなるのだけれど、幸せだった▼映画ではダントツに『ただ悪より救いたまえ』が傑作だった。韓国映画、それもノワール方面がお好きな方は劇場でチェックしたであろう話題作。2016年の超傑作『新しき世界』の主演ふたり(ファン・ジョンミン&イ・ジョンジェ)が激しくぶつかりあう。衣装もわかりやすく黒と白だが、どっちが善と悪かはわかりにくい。ただぶつかりあう、タイトル通りに▼テレビの傑作は『バタフライエフェクト 太平洋戦争〝言葉〟で戦った男たち』。太平洋戦争中、アメリカは戦略として日本語と日本を学ぶ兵士を育成していて、その学校的なものの所在地から「ボルダーボーイズ」と呼ばれていたらしい。そのうちのひとり、エドワード・サイデンステッカーが遺した言葉が胸を打った。戦後の日本・佐世保の闇市の取締等をしながら、復興に立ち上がろうとする日本人を見てこう記したそうだ。「人々は皆、懸命に働き始めた。瓦礫の山を片付け、家を建て、ものを作り売ることを始めたのである。私はその時はっきりと思い知ったのだ。この人々、そしてこの人々の言葉を研究することは決して時間の無駄などには終わらないはずであると。この人々は世界に伍して恥ずかしくない国民になると」▼言葉といえば、この夏休みの傑作は、糸井重里さんのダーリンコラムだった。いわく「多忙は怠惰の隠れ蓑」。糸井さんがお世話になった高校の先生の言葉らしいが、いやはや、折につけ思い出すべき、見事な反語的パンチラインだった▼さて、夏休みが終わった。理想の休み方のヒンのようなものがみつかった、かもしれない夏だった。書いて書いてのストイックな日々に何度も思ったのは(でもなぁ。自分で決めたことだもんな)ということ。そして、「そこまでやるか!」を久しぶりにできたかもしれないということ。だから、休むことになんの躊躇もなく、冒頭の「あぁ休むんじゃなかった」感がゼロだった。ということは、「そこまでやるか!」をほかの仕事でも発揮できたら、自然と理想の休み方に近づくのだろうか。うわー、どうなっちゃうんだろう、たとえばいまの仕事全部を「そこまでやるか!」にしたら。ちょっと怖い。怖いけど、興味深い。理想の休み方とは〝休み方〟よりも〝働き方〟にこそヒントがあるような気がしているから(唐澤和也)▼フリーランス、および、それに近い働き方をしている人ならば、多かれ少なかれ悩みの種なのが休み方ではなかろうか。「働いたら働いた分だけ稼ぎになるから」とのガソリン的イズムはキャリアを重ねるうちに忘れ去られて、「やっぱりインプットは必要だよね」との言葉に上書きされるも、休んだら休んだで休み明けのあまりの多忙さに「あぁ、休むんじゃなかった」となる。つまり、右往左往。フリーランス的立場になって幾年月、いまだに理想の休み方がわからないけれど、今回のお盆休みはいい感じだったように思う▼お盆休み前日が大型企画の入稿日だったので、書いて書いて書いて&禁酒というストイックな日々を経ていたというのがよかった。がっと働いてぬるりと休む。しかも、ストイックな日々に休みにやりたいことをメモったりと、休むことに対してもストイックだったのがよかったのかもしれない▼とはいえ、休むことに対してストイックだったといっても、とにかく睡眠、なにはなくともエンタメというだけのこと。8月11日木曜日の祭日から休みだったのだけれど、その前日の夜から10時間は寝て、翌日の夏休み本番開始は〝昼寝〟トータルで3時間は寝てしまう。それまでの禁酒生活を解禁して昼間っから冷やし中華をさくっと作り、当然のごとくビールをグビったという久しぶりのアルコール効果もあったのかもしれない。驚くべきは、そんだけ昼寝をしたのに夜になったらふつうに眠くなってきて、ぐっすりと寝たということ。目覚ましをかけずに▼あけて、12日からがエンタメ三昧本番開始だった。これぞ、大人買いと言っちゃっていいだろう。一度はコミックスを全巻集めるも、なんとはなしに手放してしまって、だがしかし、最新刊がおもしろくていま一度最初から読み直したくなりブックオフに走った『呪術廻戦』。そんな大人買い&一気読みした漫画から、テレビのドラマ&ドキュメント、はたまた映画まで。繁忙期は、なぜか漫画しかエンタメとして受け付けなくなるので(それ以外が読めない、見れない)、とくに映画は夏休みのお楽しみだった。学芸大学、祐天寺、中目黒、武蔵小山とさまよったツタヤの日々も遠い昔。出世魚ぐらいに変わり身が早くて我ながらびっくりするが、ネットフリックスとアマプラを普段使いしている私。けれど、この夏休みは8月10日の仕事終わりに渋谷のツタヤへ行き、あてどなくタイトルを眺めているだけで幸せだった。結果、10本も借りてしまい、何本かは見ずに返却するという憂き目をみることにはなるのだけれど、幸せだった▼映画ではダントツに『ただ悪より救いたまえ』が傑作だった。韓国映画、それもノワール方面がお好きな方は劇場でチェックしたであろう話題作。2016年の超傑作『新しき世界』の主演ふたり(ファン・ジョンミン&イ・ジョンジェ)が激しくぶつかりあう。衣装もわかりやすく黒と白だが、どっちが善と悪かはわかりにくい。ただぶつかりあう、タイトル通りに▼テレビの傑作は『バタフライエフェクト 太平洋戦争〝言葉〟で戦った男たち』。太平洋戦争中、アメリカは戦略として日本語と日本を学ぶ兵士を育成していて、その学校的なものの所在地から「ボルダーボーイズ」と呼ばれていたらしい。そのうちのひとり、エドワード・サイデンステッカーが遺した言葉が胸を打った。戦後の日本・佐世保の闇市の取締等をしながら、復興に立ち上がろうとする日本人を見てこう記したそうだ。「人々は皆、懸命に働き始めた。瓦礫の山を片付け、家を建て、ものを作り売ることを始めたのである。私はその時はっきりと思い知ったのだ。この人々、そしてこの人々の言葉を研究することは決して時間の無駄などには終わらないはずであると。この人々は世界に伍して恥ずかしくない国民になると」▼言葉といえば、この夏休みの傑作は、糸井重里さんのダーリンコラムだった。いわく「多忙は怠惰の隠れ蓑」。糸井さんがお世話になった高校の先生の言葉らしいが、いやはや、折につけ思い出すべき、見事な反語的パンチラインだった▼さて、夏休みが終わった。理想の休み方のヒンのようなものがみつかった、かもしれない夏だった。書いて書いてのストイックな日々に何度も思ったのは(でもなぁ。自分で決めたことだもんな)ということ。そして、「そこまでやるか!」を久しぶりにできたかもしれないということ。だから、休むことになんの躊躇もなく、冒頭の「あぁ休むんじゃなかった」感がゼロだった。ということは、「そこまでやるか!」をほかの仕事でも発揮できたら、自然と理想の休み方に近づくのだろうか。うわー、どうなっちゃうんだろう、たとえばいまの仕事全部を「そこまでやるか!」にしたら。ちょっと怖い。怖いけど、興味深い。理想の休み方とは〝休み方〟よりも〝働き方〟にこそヒントがあるような気がしているから(唐澤和也)

20220823(火)
傑作と夏休み

▼フリーランス、および、それに近い働き方をしている人ならば、多かれ少なかれ悩みの種なのが休み方ではなかろうか。「働いたら働いた分だけ稼ぎになるから」とのガソリン的イズムはキャリアを重ねるうちに忘れ去られて、「やっぱりインプットは必要だよね」との言葉に上書きされるも、休んだら休んだで休み明けのあまりの多忙さに「あぁ、休むんじゃなかった」となる。つまり、右往左往。フリーランス的立場になって幾年月、いまだに理想の休み方がわからないけれど、今回のお盆休みはいい感じだったように思う▼お盆休み前日が大型企画の入稿日だったので、書いて書いて書いて&禁酒というストイックな日々を経ていたというのがよかった。がっと働いてぬるりと休む。しかも、ストイックな日々に休みにやりたいことをメモったりと、休むことに対してもストイックだったのがよかったのかもしれない▼とはいえ、休むことに対してストイックだったといっても、とにかく睡眠、なにはなくともエンタメというだけのこと。8月11日木曜日の祭日から休みだったのだけれど、その前日の夜から10時間は寝て、翌日の夏休み本番開始は〝昼寝〟トータルで3時間は寝てしまう。それまでの禁酒生活を解禁して昼間っから冷やし中華をさくっと作り、当然のごとくビールをグビったという久しぶりのアルコール効果もあったのかもしれない。驚くべきは、そんだけ昼寝をしたのに夜になったらふつうに眠くなってきて、ぐっすりと寝たということ。目覚ましをかけずに▼あけて、12日からがエンタメ三昧本番開始だった。これぞ、大人買いと言っちゃっていいだろう。一度はコミックスを全巻集めるも、なんとはなしに手放してしまって、だがしかし、最新刊がおもしろくていま一度最初から読み直したくなりブックオフに走った『呪術廻戦』。そんな大人買い&一気読みした漫画から、テレビのドラマ&ドキュメント、はたまた映画まで。繁忙期は、なぜか漫画しかエンタメとして受け付けなくなるので(それ以外が読めない、見れない)、とくに映画は夏休みのお楽しみだった。学芸大学、祐天寺、中目黒、武蔵小山とさまよったツタヤの日々も遠い昔。出世魚ぐらいに変わり身が早くて我ながらびっくりするが、ネットフリックスとアマプラを普段使いしている私。けれど、この夏休みは8月10日の仕事終わりに渋谷のツタヤへ行き、あてどなくタイトルを眺めているだけで幸せだった。結果、10本も借りてしまい、何本かは見ずに返却するという憂き目をみることにはなるのだけれど、幸せだった▼映画ではダントツに『ただ悪より救いたまえ』が傑作だった。韓国映画、それもノワール方面がお好きな方は劇場でチェックしたであろう話題作。2016年の超傑作『新しき世界』の主演ふたり(ファン・ジョンミン&イ・ジョンジェ)が激しくぶつかりあう。衣装もわかりやすく黒と白だが、どっちが善と悪かはわかりにくい。ただぶつかりあう、タイトル通りに▼テレビの傑作は『バタフライエフェクト 太平洋戦争〝言葉〟で戦った男たち』。太平洋戦争中、アメリカは戦略として日本語と日本を学ぶ兵士を育成していて、その学校的なものの所在地から「ボルダーボーイズ」と呼ばれていたらしい。そのうちのひとり、エドワード・サイデンステッカーが遺した言葉が胸を打った。戦後の日本・佐世保の闇市の取締等をしながら、復興に立ち上がろうとする日本人を見てこう記したそうだ。「人々は皆、懸命に働き始めた。瓦礫の山を片付け、家を建て、ものを作り売ることを始めたのである。私はその時はっきりと思い知ったのだ。この人々、そしてこの人々の言葉を研究することは決して時間の無駄などには終わらないはずであると。この人々は世界に伍して恥ずかしくない国民になると」▼言葉といえば、この夏休みの傑作は、糸井重里さんのダーリンコラムだった。いわく「多忙は怠惰の隠れ蓑」。糸井さんがお世話になった高校の先生の言葉らしいが、いやはや、折につけ思い出すべき、見事な反語的パンチラインだった▼さて、夏休みが終わった。理想の休み方のヒンのようなものがみつかった、かもしれない夏だった。書いて書いてのストイックな日々に何度も思ったのは(でもなぁ。自分で決めたことだもんな)ということ。そして、「そこまでやるか!」を久しぶりにできたかもしれないということ。だから、休むことになんの躊躇もなく、冒頭の「あぁ休むんじゃなかった」感がゼロだった。ということは、「そこまでやるか!」をほかの仕事でも発揮できたら、自然と理想の休み方に近づくのだろうか。うわー、どうなっちゃうんだろう、たとえばいまの仕事全部を「そこまでやるか!」にしたら。ちょっと怖い。怖いけど、興味深い。理想の休み方とは〝休み方〟よりも〝働き方〟にこそヒントがあるような気がしているから(唐澤和也)