20220812(金)
認めたくないものだな、シャアじゃなくても

▼もうそろそろ認めちゃってもいい頃なのかもしれない。「ストイックですね?」と言われてなぜかカチンときたことも、「それは好きだからですよ」と言われて、口をへの字に結んで肯定できなかったことも。人は核心をつかれると素直になれないという。ならば、私のあることに対する向き合い方は、ストイックだし、その根本にある思いは好きだからなのかもしれない。今週は予定を変更して、あること=文章を書くということについての日記的雑文です▼「ストイックですね?」の問いかけをされたのには前段があって、書いて、書いて、とにかく書いた怒涛の日々を振り返っていた時のこと。PAPER LOGOSという年に1回発行される雑誌での原稿だったのだけれど、巻頭特集30ページ、巻末連載25ページ、そのほか大小様々な企画原稿を5本。計84ページというボリュームを書き始めた1ヶ月前に、これはさすがにやばいと。この文字量をこの期間で書きあげるのは、いつものやり方ではまずいと。そんな追い詰められたタイミングで、ふと思いついたのが「禁酒」だった。……という話は、禁酒から1週間ほどのタイミングでも書いた。それから約1ヶ月後に無事に書き終えて入稿というまさにそのタイミングで、仕事仲間にエピソードのひとつとして禁酒のことを話していたら「ストイックですね?」と返されたというわけ。その人に悪気なんて一切なかったのだと思う。ものすごくお酒が好きなタイプだから(信じられない! 自分には無理!)の裏返しがストイックだったのだとも思う▼ということは、カチンときたのもその人のせいなんかじゃなくて、もはや自分自身の問題ということ。つまるところ、語感ハードルがなにかと高いんだと思う。たとえば、ストイック=イチロー級というのが私の語感。ある時期のイチローは奥さんが作ったカレーを毎日食べていたというのは有名な話で、ほかにも鬼のような数のルーティングがあると。ああいうレベルの人にこそ似合う冠的言葉がストイックで、私なんてとてもとてもという謙遜転じてのカチンだったのだと思う▼でもですね、そんなのライターを生業としているとか、わりと言葉に敏感な人の語感であって、すっごくお酒好きの人が、仕事相手が1ヶ月禁酒したなんて聞いた日には、そりゃ「ストイックですね」と言いますよね。というわけで、この1ヶ月の私、たしかにストイックでした▼もうひとつの「それは好きだからですよ」は、このコラムのようなものを週に1本書くと決めて、1年ぐらいした時に後輩から言われた言葉だった。週に1本はきつい時もあると。でも、なんだかんだ書かないと気持ち悪いんだよね。そんなことを話していたら返された言葉で、その時も肯定からほど遠い、口をへの字にするというリアクションだった。でも、この1ヶ月の怒涛の原稿書きの日々で、自分自身が一番感じたことであった。「もしかして俺、書くことが好きなんじゃないのか?」と。だって、もしも、テレビの密着番組が定点固定小型カメラで私の怒涛の日々を映しとっていたとしたら、もっともお恥ずかしい場面は「あーーーーーーーーー!」とか叫んでチェアからズリ落ちて床につっぷして、ごろごろと思案して、そこまではまぁいいとしても、文章の続きをあきらめたのかタイマーをセットして、バックパックを枕に仮眠をとった瞬間だろう。え? 寝るのと。散々悩んだふうだったのにそのタイミングで寝んのかと。でも、その仮眠から起きると、それまで思いつかなかったフレーズとかが浮かんで「ふふふ」と不気味に笑って書き直しをする。さらに、次の日、その「ふふふ」の原稿を読んで(この文章のどこがおもしろいんだ!)と愕然としつつも、また書きなおす。これは今回の例だけれど、こういうことは書いている時にはよくある。言わば、ルーティンだ。変なルーティンだなぁと我ながら思いつつも、そんな変なルーティンなんて、そもそも書くことが好きじゃないとやってらんないよなぁと痛感した次第です▼なーんてことを地元学芸大学の小さな公園で書いている。目の前の大きな木ではセミが鳴いている。となりのベンチのおじいさんはさっきからずっと眠ったままで、ちょっと心配だ。そして、右手の甲と右足アキレス腱の下あたりの2箇所を蚊にさされたけれど気づかなかったのは、やっぱり、書くことが好きで夢中になっていたからかもしれない(唐澤和也)