私の好きな年末
「記憶、マグロ、そして仕事」

 今年が令和何年なのか、十二月の終わりの一年を振り返る季節になっても私はいまだにわからないでいた。
 元年ではないのはわかるのだけど、はて、二年だったか、三年だったか。こないだも病院の問診票を和暦で記入しなければならず、わからないのでGoogleで調べると今年は令和三年だった。そうか、三年だったのか。

 おそろしく物覚えの悪い私が一年を振り返るとなるとなんらかの記録が必要になる。片っ端から忘れていってしまうが、日記帳なら書いた文字はそのまま残っており、読むとあーそうだったなぁと思うのだ。

 そんなこんなで毎日綴れる日記帳をめくってみると、真っ白なページがでてくる、でてくる︙︙。ぽつぽつ書いているところもあるけれど、三百六十五日中、記入したのは四十日くらい。つまり、およそ二百二十五ページは空白ということになる。八月中旬以降なんてとくにひどくて、雪原のようにまっさらだった。まぁでも、やった仕事などは全部PCに保存されているので、それでなんとか今年一年のことを思い出せている。

 年明けから春は基本的にリモートワークで、自宅で仕事をしていた。引きこもっていたので運動不足ではあったが、ずぼらからくる粗食のために太るということはなかった。
 仕事のスケジュールに余裕があったので、天気のいい日には三島半島に出かけて三崎マグロの刺身に舌鼓を打ち、相模湾越しにそびえる富士山の美しさに驚嘆し、訪れた油壺マリンパークでは回遊水槽で泳いでいる大きなサメをぼんやり眺めていたものである。コロナ禍の影響なのかはわからないけれど人が少なく寂しげな雰囲気のする水族館だった(二〇二一年九月三十日をもって閉館となる)。

 夏から秋にかけてはパッケージ作成の仕事に追われてけっこう忙しかった。編集やライターとして携わっているが、担当する分量が年々増えている。いくつも重なった九月と十月はとくに大変で、永遠に終わらないんじゃないかと思ったほどだ。どうにかこうにか乗り越え、無事にこうして十二月を迎えられて本当によかった。

 限られたスペースのなかでどうしたら端的にわかりやすく製品のよさを言葉で伝えられるかを考えまくり、字数も揃えればきれいに収まるのでそこも確認しながら進めた。校正も念入りにやらないと誤字があったりするので気が抜けない。
 ふだん、ぐうたらな生活を送っているわりに、このことに関してはめちゃくちゃ細かいところまで気にしながら進めたので、我ながらきっちり仕事をした感がある。AB型のAの真面目なところが出ているからなのか、酉年生まれの几帳面なところが出ているからなのか。いずれにせよ占いやその類のものは信じていないけれど、かなりちゃんと取り組んだことは確かだった。

 店頭に並んだ製品を手にとって購入してくれる人がいる。パッケージって地味だけど、そういう人たちにとっては大切なものだと思うようになった。それに微力ながらも役立てているような気がしてうれしい。

 パッケージ仕事で考えまくって言葉にするという経験はほかのところでも生かされていて、製品のことについて理解が深まったから、カタログなどのテキストも、わりかしすいすい書けるようになった。他人が書いた文章を読むと、(ここの言い回しがいい!)とか(こうしたすっきりまとまるのでは?)などと思ったりするし、昔の自分が書いた文章を読むといろいろ気になって直したくなってくる。そう考えると自身でも少しずつ成長しているのがわかるし、文章を書くってなかなか奥が深いんだなぁ〜と思う。

 自分がどんなことに向いているかもだんだんわかってきたし、いいところを伸ばせば将来的にも食いっぱぐれないで済む上に夢のマイホームだって夢じゃないかも!と限りなく透明に近い淡さで期待を抱いている。年々担当するパッケージが増えていて、来年は一体どうなってしまうのだろうか。ひそかにおびえてもいるが、反面少し楽しみでもある自分に驚きつつ、そんな年末が嫌いじゃない。
(文/山岡ひかる/2021.12.24)