私の好きな年末
「さらば、6年暮らした街」

 人は川崎という場所にどんなイメージを持っているだろうか。なんか治安が悪そう? 私も最初はそう思っていたけれど、住んでみて全然いいところだよー!と思うようになった。そもそも川崎市の南北に細長い地形は7つの区で構成されており、一概にこうとは括れない。強盗やら発砲やらのヤバい事件が起きがちなのはもっとも南に位置する川崎区(繁華街、公営ギャンブル、工業地帯などが揃う)で、そこから北に行くほど治安がよいとされている。

 私は南北でいうところの真ん中あたりにある元住吉という街に6年住んだ。駅から続く商店街は活気があり、歩いているだけでも楽しくて、街も住んだマンションも気に入っていた。

 最上階で角部屋だったので西の窓からは日差しがダイレクトに注ぎ、夏場になると干からびるほどのそれはそれは酷い暑さだったが、代わりに夕焼けや朝方の沈む月がよく見えた。道路沿いでとくに金曜日の夜はバイクの音がうるさく、幾度となく眠りを妨げられたが、代わりに裏山にいるウグイスやヒグラシの鳴き声が聞こえてくるので、時々耳を澄ましたものだった。どうして過去形なのかというと、いまは引っ越して別のところで暮らしているからである。

 付き合っている彼氏と同棲しようという話になった秋頃、新居を探し始めた。
 土砂降りの日に内見したのは、駅から離れた土地に立つマンション。とにかく部屋が広くて家賃も安いという理由で私が選んだ。実際に行ってみると、なんだかんだオプションがついてトータルの家賃が高くなる上に、徒歩通勤できる距離じゃないのはやっぱりきついよねということになり、契約は見送ることに。案内してくれた不動産屋の方の話を聞いて、改めて自分たちの条件を考えることにした︙︙。

 私の条件はマンション且つ広めで家賃が抑えめであること。彼の条件はひとり一部屋持てて、駅近で会社に通いやすいこと。ただ、これらをクリアする物件を探すのは容易なことではない。目星を付けても問い合わせた矢先に契約されてしまうことも多々あり、すきがあれば即座に不動産ポータルサイトをチェックするという、まるで不動産ポータルサイトに取り憑いて離れない地縛霊みたいな日々をすごした。

 そしてついに見つけてしまったのだ、すべての条件をクリアする物件を。情報公開されたばかりの新着ほやほやで絶賛入居者募集中。築年数は経っているけれどマンションで2LDKという申し分のない間取り。こりゃあ、ぜひとも見に行かねばと、すぐ内見を申し込んだ。この熾烈な椅子取りゲームの勝者になってやろうじゃないか。

 こないだとは打って変わって、内見当日は朝から快晴。坂が多い街で、訪れるマンションも坂を下った先にある。現地に到着し、案内されて階段をのぼって室内に入った。
 築年数が経っていて古いところもあるけれど、リビングダイニングキッチンは広々としていて開放感があり、どの部屋もバルコニーに面しているのでとにかく日当たりがいい。水回りも新しいものに取り替えられていた。直感でここだ!と思ったし、彼もいいねと言う。これを超える物件にこの先もう出会えないと判断して即契約を決めた。

 審査が通り、引っ越しの準備に取り掛かる。持ち物が多かったので服、本、CD、雑貨などをどんどんどんどん、じゃんじゃんばりばり手放した。よくまぁこんなにたくさんのものを集めたものだ。最初は捨てるのをためらっていたものでも、のってくると極めて冷酷に容赦なく処分できる。トータル10箱くらいは捨てたり売ったりして、ようやく部屋が少しすっきりしてきた。そのうち持って行く予定の家具もこんなにいらないなと思い始め、選別して新居に持って行くことにした。

 引っ越しの荷造りが進み、片隅に段ボールが積まれて本棚はすっからからん。ポスターも剥がされて殺風景になった部屋を見た時は、少ししんみりした気持ちになった。

 6年間も住んだというのに、お別れは随分と呆気ないもので業者のスムーズな作業により、引っ越しは3時間たらずで終了した。さらば、住んだ街。さらば、暮らしたマンション。と言ったものの、新居はあいかわらず川崎市内。恋しくなった時はいつでも、商店街にある和菓子屋「だんごの美好」へ桜餅を買いに行くことができる。
 まぁ、とにかくこうして私は元住吉をあとにしたのだった。へとへとに疲れ切ったので、しばらく引っ越しはしたくない。
(文/山岡ひかる/2022.12.12)