私の好きなカラス
「鳥類界一の嫌われ者」

 私が住んでいる家の近くの山にはねぐらがあるらしく、しょっちゅう「カーカー」と、カラスが鳴く。時には何十羽かの群れで空を旋回しているのがベランダから見え、「なにか不吉なことの前ぶれか?」と思いながら乾いた洗濯物を取り込んでいる。深夜にけたたましく鳴くので目が覚めてしまい「勘弁してくれ︙︙」と思ったこともある。

 せっかくなので、カラスとの思い出をいくつか振り返ろう。四、五年ほど前、河川敷を散歩していると、何十羽かのカラスがヤンキーのように地面でたむろする場所に行ってしまった。人間の一人くらいどうってことないというように逃げる素振りすら見せず、その場に留まっている。ハトやスズメだったら追いかけても逃げていくだけだけど、カラスは反撃されそうな気がして下手なことはできない。そこはBBQができるエリアだったのだが、あんなにたくさんのカラスに囲まれては、一枚の肉ですら恐ろしくて焼けないだろうと思った。

 二年ほど前の春先。私の仕事場から向かいのマンションのベランダが見えるのだが、外を眺めていると、どこからともなく一匹のカラスが飛んできた。ベランダの手すりにひらりと降り立ち、物色するようにあたりを見たあと、器用に洗濯物だけをゆすり落としてハンガー(おそらく針金製のもの)をくわえて飛び去ってしまった。そのあとも何度かやってきて計三本のハンガーをどこかに持っていってしまった、泥棒猫ならぬ泥棒カラス。あまりの手際のよさにすっかり感心してしまったのと同時に、そこの住人じゃなくて心底よかったと思ったりもした。

 カラスという生き物のことが気になりはじめた時に、カラス語がある(鳴き声には意味があり、それを使いわけている)という話をネットで見てから、もっと気になるようになってしまい、鳴き声がするたびに「いまなんて言ったんだろう?」と考えるようになってしまった。

 うーん、ますます気になる。時々カラスを観察するようになり、ある日の天気のいい朝に仕事へ行く途中、ゴミを漁るカラスがいたので近くを通ってみた。少し怖かったが、以前の河川敷のような一人対何十羽という状況ではないし、ゴミ袋を夢中になってつついているのでこちらを警戒する感じもない。
 目を凝らしてよく見てみると、艶がある真っ黒な羽毛が光を受けて、カラスの動きにあわせて青や緑、紫にと色を変えて反射していた。たとえるなら、貝殻の裏側を光にかざした時に放つ複雑な輝きと似ている。黒一色だと思っていたので、これには随分と驚いた。

 なんとなく不気味だし、鳴き声が大きくてうるさいし、なによりゴミを漁って散らかす。おそらく鳥類界きっての嫌われ者に違いない。それでも美しい生き物だなぁと思うようになった。
 よく見たらつぶらな瞳がかわいく、シュッとしたフォルムはかっこいい。ハトは人間に媚びて生きている感じがするけど、カラスはもっとたくましく、しぶとく生きている感じがする。

 カラスについてもっと知りたいと思い、『カラスの教科書』という本を買って読んでみた。カラスについて研究している方が書いた本なのだが、語り口が軽妙で、カラスの挿絵がゆるくてかわいい。この本のおかげでハシボソガラスとハシブトガラスを見わけられるようになったので、電柱にカラスがとまっているとどっちだろう?と、ついつい眺めてしまう。

 その本のなかでもっとも興味をそそられたのはワタリガラスだ。世界最大のカラスであるワタリガラスの鳴き声の響きは金属的で、ある時はカモメ、ある時は犬、またある時にはトランペットの音というように、聞くたびに鳴き声が変化するのだという。北海道で越冬するものの数は少なく、警戒心も強いらしいが、いつか会いに行ってみたいと北海道旅行の計画を密かに企んでいたり、いなかったりする。
(文/山岡ひかる/2021.3.17)