教えておじさん
佐藤先生 後編
【社会学ってなに?】
私がライターとして働きはじめたのは完全に成り行きだが、社会学の先生をしているのにはなにかなんらかの理由があるはずだ。どうして数あるなかから社会学を選んだのだろう。少年時代までさかのぼって話を聞いた。
「子供の時はクラスのみんなで遊んでいるのを、本当は入りたいんだけど教室の端っこで見ている感じ」と先生は笑いながら当時を振り返る。
中学に進み、サッカー部に入部したものの一年で退部した。辞めた理由は、チームプレーだから。昔から誰かと一緒にやるのが苦手で、自分ひとりでなにかやるのがあっていた。それは学校も仕事も同じことが言えるそうだ。
「世の中の仕事ってだいたいチームプレーじゃないですか。僕の場合は必要以上に気を使ってしまうことが多い。だから人とのメールのやりとりが疎ましいし、電話はもっと嫌です。でも、生徒に接するのはチームプレーじゃないので苦ではないんです」
小中高の学校の思い出はそのサッカー部のことぐらいで、ほとんど覚えていないそう。じゃあ勉強のほうは? 先生になるくらいだから、もしかしたら超のつくガリ勉だったのかもしれない。
ところが「そうでもないっす」というまさかの返答が戻ってきたので拍子抜けした。勉強にちゃんと取り組みはじめたのが、高校と大学の受験の時。一浪して、某私立大学の教育学部に入学することとなる。
「社会学って最初は知らなかったんですよ。政治学をおもしろいと思って、できるところを探して。教育学部は入学してから学科を決められるんですけど、入ってから社会学の授業受けたら、なんか取り憑かれて。だから、大学一年の時からなんです。政治学は、政治の仕組みや歴史の話ばっかりでしょう。社会学の場合は、自分がふだん、なんで?と思っていることに、ひとつひとつ答えてくれるんです。なんで行列作るの? なんで人々はこんなことに熱狂を? っていうことを研究対象にしているから、すごく身近に感じたし。その時の担当していた先生がとても魅力的な話し方をしてくれる人で、そういうことが重なって、ですかね。だから、最初から社会学を目指したわけじゃないんです」
大学で社会学に出会い、先生のその後の人生は大きく変わった。貧困に興味を持ち、社会学部に入ったものの、あまり熱心に取り組んで来なかった私は「社会学とはなんぞや」ということをいまいちわかっていない。犯罪社会学、家族社会学、宗教社会学など、数多くある社会学。改めて、社会学とはなんなのかを聞いた。
「社会学は教科書的な答えをすれば、社会生活の仕組みを解明するってことなんでしょうけれども、僕にとっては、ふつうの人がふつうに疑問に思うことに答えようとしている学問な気がするんです。経済学はすごく立派な経済理論があって、専門家の彼方のほうに経済学ってあるような感じ。政治学もすごく専門的で、そのマニアの人たちが楽しんでやっているような感じ。社会学って、たしかに専門領域なんだけど、たとえばなんで戦争が起こるんだろう?って、ふつうに疑問に思いますよね。当たり前のことを疑って、当たり前とはなにかを明らかにしてくれるっていうのは、醍醐味ですよね。僕がたぶん最初に、あ、おもしろいなって思ったのも、そういうとこだったと思うんです」
当たり前を疑ってみる。東京の街を歩いていると、駅前や公園で中央に仕切りを設けたベンチをよく見る。地方にはあまりない、不思議な形をしたベンチ。実はホームレスが長居することを防ぐ意図があるのだが、ふつうに暮らしていたら素通りしてしまうだろう。当たり前を疑うことで、はじめて見えてくることがあるのかもしれない。
【好きを仕事にする】
政治学に興味を持って大学に進学し、その後「社会学」に取り憑かれてしまった佐藤先生。私は社会学を妖怪のような姿で思い描きつつ、どのような経緯でいまの仕事を選んだのかを聞いてみた。
「大学四年で卒論書いた時に、もっと勉強したい、もっと深くやりたいと思ったのが、大学院進学を選んだ理由でした。でも大学院に行くと進路が狭まられて、教員になるくらいしかなかったんで、行きがかりみたいなところがあります。父親は大学の先生だったから大学院っていうとふつうは顔をしかめるところを許してくれた。まぁ、親を見てってところもありますね」
大学を卒業すると、多くの人は会社に入って働くことになる。学生と社会人という大きな境目があるのだが、大学院へ進学した佐藤先生の場合はそうではなかった。
「僕の場合はグラデーションなんですよ。仕事として教えているのが社会学だから、大学、大学院からやっていることがずっと繋がっているでしょ。とくに辛いなって思ったことはないんですよ。数値目標達成やノルマもないですからね。そういう、ふつうの社会人が経験する辛さはないです。それから営業マンみたいに、言葉遣いやマナーについて言われることもないから、息苦しさもなかったね」
いいことづくめじゃないか!と思ったが、もちろん大変なこともあるそうだ。大学からお願いされるのは科目だけ。当然、教え方なんて教えてくれないし、すべてを自己管理する必要があり、慣れるのには時間がかかった。
この仕事をしていてよかった!と先生が思うのはどんな時なのだろう。
「やっぱり教えることで自分も学ぶんです。生徒に伝えるための努力をすると、自分のわかってないところが逆にわかったり。いまも勉強することが多いですよね。それから、いつも若い人と接していられるのはいいなって。やっぱり彼らからエネルギーをもらっているし、その点はあんまりほかの人には経験できないだろうから、ありがたいなぁって思っています。それに大抵の職場って、もう会う人が決まっているわけでしょう。大学は生徒が毎年入れ替わるし、そういう意味ではいろんな刺激あります」
最後に、この連載でいろんな社会人に聞いてみたかった質問を聞く。人はなんのために仕事をやっているのか、私はずっと知りたかった。佐藤先生は大きなため息をひとつ吐いて、話をはじめた。
「半分はお金のためですし、半分は……あぁ、月並みだなぁ。やっぱりアイデンティティに関わるからでしょうかね。もし僕が宝くじ当てて、仕事しなくてよくなったとしても続けたいとなるはずで、それは好きだからだと思うんですよ。僕は教えるのが好きで、同じことをいろんなやり方で伝えるっていうのにおもしろみを感じています。半分は収入、半分はアイデンティティのため。でもたいていの人そうですよね、すみません」
照れ臭そうに謝られたが、めっそうもない。そのとおりだなと思って話を聞いていた。好きなことがお金になるというのは素晴らしいことだと私も思う。でもいっぽうでは、好きなことはあえて仕事にしないほうがいいという話も聞く。先生のなかではどちらが正しいのだろうか。
「うーん、結局好きじゃなきゃ続かない気がするんですよね。安定していて給料がいいだとか、一流企業だとかの理由で銀行に惹かれて入ったけど辞めた人を何人も知っているんです。どう思います? トータルの人生でどっちが幸せなんでしょう? 収入多いけどやりたくないことをやるのと、収入少ないけどやりたいことやるのと。幸せの度合いから言うとどうなのかなって思うんですよね」
どちらが幸せなんだろう、難しい。つまらないと思っている仕事を何十年もやるっていうのは、けっこうしんどいだろうなぁ。
「でも、ものすごい貯金が貯まっていくんですよ。豪邸に住めるんです」と先生に言われて、いいなと思ってしまった。「山岡さんはどっちかっていうと、やりたいこと選択したほうでしょ? 僕もそっちなんですけど、ま、結果は死ぬ時に出るんでしょ、きっと。死ぬ間際になって幸せだったと思えればいいんだと思う」
「二〇二一年卒マイナビ大学生就職意識調査」によれば、学生の大手企業志向はこの二十一年間でもっとも高い。そして、企業選択においてもっとも重視されているのが「安定している会社」だ。
私がなぜライターと編集の仕事を選んだのかというと、成り行きだった。もともと文章を書くのも読むのも好きだったから、まぁちょっとやってみようかなぐらいのノリではじめた。自分が関わったものが形になったら達成感もある。結果的には安定した仕事ではなく、やりたい仕事を選んだことになった。しかし、この選択が正しかったのかどうかはわからない。実家に帰ると、地元の企業に転職してほしいと心配性の親に言われる。
死ぬ間際になって幸せだったと思えればいいと先生は話していたが、私もふかふかなベッドの上で家族に看取られながら苦しみもなく死ねたら幸せだろうと思う。少なくとも、好きな仕事をしている佐藤先生は幸せそうに見えた。私の選択は間違いじゃなかった!と、いつか親に証明できたらいいなと思う。
【冬の華】
三時間にも及ぶインタビューを終えてカフェテリアを出ると、真上にあった太陽が西に傾き、いくぶんか涼しくなっていた。先生と別れたあと、TSUTAYAに寄って『冬の華』のDVDを借りた。
あらすじはこうだ。主人公の加納は暴力団の一員で、ある時、組を裏切った松岡という男を殺害する。松岡には三歳の一人娘・洋子がおり、それが気掛かりだった加納は、刑務所にいる間も舎弟の南を介して、彼女を援助し続けていた。十五年後、刑期を終えて出所した加納は堅気になりたいと決意するが、暴力団の抗争に巻き込まれていく︙︙。加納を演じるのはもちろん健さんだ。
映画の中にはハードボイルドでかっこいい、四十代のその人がいた。「私の知っている健さんじゃない!」とまずびっくりした。しょっぱなから映像と音楽とストーリーの哀愁具合がすごいので、二重にびっくりした。
おもしろかったのは健さん演じる加納が、ヤクザのくせに接客する店員さんに対して腰が低いところだ。ちなみに、舎弟の南を演じる田中邦衛がルパン三世のような髪型をしているのも、ちょっとおもしろい。
闇の社会で生きる加納とは対照的に、若い洋子は光のなかを生きていた。加納のなかでいつの間にか洋子は娘のような存在にあっており、彼女に会いたいという気持ちと、過去の過ちに対する後ろめたさとが混在する。洋子の幸せを願いつつ、加納は再び暗い闇のなかへと沈んでいく。
振り返り際のラストシーンは、憂いや迷い、覚悟が全部混ざっているような絶妙な表情で、あぁこれが先生曰くの「全部を語る」なんだなぁと腑に落ちた。でも、どうしてこんな悲しい結末になってしまったのだろう。
映画を見終えてから、先生の話をいろいろと思い出してみた。
先生の美意識は、高倉健に影響を受けたという。「老けた人と老けない人の違いは、美意識があるかないかだと思う」と、芸術家の横尾忠則は言っていたが、佐藤先生のピンと背筋の伸びた立ち振る舞いが印象に残っていたのは、美意識があったからかもしれない。誰かを憧れ続けたら、それがいつしか背骨のようなものになって、その人の一部になるのだろうか?
「相手の話をちゃんと聞くのは、大人じゃなきゃできないと思います」と佐藤先生は言っていた。先生も映画の中の健さんも然り、相手の言葉を待ってじっくりと話を聞く。
大人になるために必要ないろいろなものが、私には欠落しているに違いない。だから、まずはとにかく自分の言いたいことを我慢して人の話を聞くということ。「不器用ですから」な私は、まずそこからはじめようかと思う。
(文/山岡ひかる/2020.11.2)