教えておじさん
佐藤先生 前編
大学で社会学部だった私は、非常勤講師の佐藤先生(仮名)の授業をとっていた。痩せ型で背が高く、誠実でやさしそう人というのが第一印象で、実際に終始穏やかな口調で授業は進む。
この連載のために、誰にお話を聞こうかと考えた時に、ふと先生のことを思い出した。テストのことで一、二回話した程度でそのまま卒業してしまった私を、覚えていないだろう。でも、いろんな質問をしたらどんな答えが返ってくるのだろうか。久しぶりに私は先生に会ってみたくなった。
「社会学とはなんぞや」という真面目な話はもちろん、憧れの人、体型維持のための血の滲む(?)努力についてなど、たくさんのことを教えてくれた。
【大人になったら】
お話をうかがったのは二〇一七年六月。気持ちのいい晴天は、夏のはじまりを告げていた。私は四年間の在籍中に一度も入ったことのなかった母校のキャンパス内にあるカフェテリアで(構内に食堂がいくつもあるので、カフェテリアは利用しなくても事足りた)、先生と一緒にアイスコーヒーを飲んだ。
私は世間知らずの二十三歳で、先生は四十代。突然連絡をしてきた私に嫌な顔をひとつせず、大人な対応してくれた。よし、これなら!と思った私は単刀直入に「いつ大人になったのか?」を聞いてみた。
「大人になんなきゃなって感じたのは、父親を亡くした三十歳の時でした。父親の存在がけっこう大きかったんで」
どんな人だったのだろうかと気になったので聞いてみると、やさしいけどものすごく威厳があって『サザエさん』に出てくる波平のようなタイプだったそう。
佐藤先生のお父さんも大学の先生だった。そんなお父さんの背中を見て育った佐藤先生は、文字どおりの反面教師としてあることを学ぶ。
「父親はあんまり子供の話を聞く感じではなかった。自分だったら違うのになぁ、って子供ながらに思っていて︙︙。僕の息子に対しては父親として、大学の生徒に対しては先生として、相手の話を聞いて引き受けてあげるっていうのも大人の一歩じゃないですかね。話を聞いて『わかった』って言ってあげるだけでも、救われる人っていっぱいいるわけで。こっちも言いたいことはあるけど、それはちょっと置いといてまずは聞く。子供だとつい、『僕が、僕が!』ってなっちゃいますから。相手の話をちゃんと聞くのは、大人じゃなきゃできないと思います」
いきなり耳が痛い。私が人の話をちゃんと聞くことがとても難しいと気がついたのは、社会に出てからだった。思ったことがあるとついつい話を遮ってしまい、よく怒られた。
さて、佐藤先生に絶対に聞きたいことがいくつかある。そのひとつが、世の中のおじさんたちはいつおじさんになるのだろう?という、ふとした疑問だ。
「ちょっと笑われるかもしれませんけど、自分をおじさんって意識することが実はあんまりない」と返答が戻ってきた。でも、ふだんから年齢を意識していない分、授業参観に参加する父兄を見たり、テレビに出ている老けたおじさんが自分と同い年だったりすると、愕然とするという。
子供の頃はわがままを言うこともあったという先生。「いまは、わりと全部ひとりでやっちゃうので」と笑いながら話す。たとえば佐藤先生は健康と体型維持のために、いつも鶏胸肉ともやしを使った料理を自分の朝食に作る。家族はパンと目玉焼きといった朝ごはんなのに。
「朝食が自分だけ違うって、わがままなんです。だけど『作って!』とは言わずに、自分でやるっていう処理をしちゃう。大人になってからのわがままなんて、それぐらいかなぁ」
先生が教室にいる姿は簡単に想像できるのに、キッチンにいて料理をする姿を想像するのはけっこう難しい。私は先生という一面しか知らないことに気づかされた。
先生の話によれば体重増加を恐れてスポーツジムに通い、ヘルシーな食事を心がけて好きなラーメンも月に数回しか食べない。そこらへんの女子よりよっぽど努力をして、いまの体型を維持していたなんて!
またしても耳が痛い。軽く耳鳴りすらした。私もソファーに寝転んでポテチを貪っている場合ではないのである。しかし、スナック菓子はおいしい。
そういえば、肩こりが辛くて、ついにはじめての整体に行った時のこと。整体師は見事に私の怠惰を見抜いた。ふだん運動していない体はカチコチに固まり、体を動かすたびにボキボキと悲鳴をあげた。てっきり癒されるものかと思っていた私の見当は大きく外れ、施術中は一睡もできなかった。
大人なってからこそできるようになったことについて、佐藤先生はこんなことを教えてくれた。
「空気が読めるようになりましたね。僕はかなり深読みをしちゃうんですけど。たとえばちょっとした眉の動きからでも、あ、いまこの人に僕はこう思われたなとか。あと、できるようになったのは大人買い。少々高くても、これは好き!と思ったら買えるようになった。一番最近はコートを買ったんですけど、昔は我慢していて、それができるようになった時にちょっと幸せを感じます。あ、自分って大人じゃん!って」
これは私の話だが、沢木耕太郎の小説『深夜特急』を読んでいたら、めちゃくちゃ海外に行きたくなった。その時、ちょうどボーナスが入ったタイミングだったので勢いに任せて、台湾行きの航空券と宿を抑えた。海外旅行なんて一切したことがなく、中国語もまったくもって話せないが、台湾ならひとりでも行けるだろうと踏んだのだ。
大人買いではないけれど、稼いだお金を自分のために使うというのは、けっこう楽しい。
【先生と高倉健】
佐藤先生の授業では、アメリカの歴史や社会を知るために映画を見ることがあった。
ロバート・デニーロやケビン・コスナーが出演する、映画『アンタッチャブル』は、禁酒法時代のシカゴを舞台に、マフィアの首領であるアル・カポネの逮捕劇を描いた作品だ。お酒を買いに来た女の子もろとも、酒場が爆弾で吹っ飛ばされるという無慈悲かつ衝撃的なシーンからはじまる。「ええっ︙︙!!」と生徒たちが思いっきり動揺したところで先生は映像を切り、平然と授業の続きを進めた。先生曰く「まぁいっか〜」くらいの軽いノリで爆破シーンを流したらしいけど、私のなかでは、一、二を争うほど印象深い大学の授業だ。
「好きな映画はえっと『ゴッドファーザー』『アンタッチャブル』でしょう。ロバート・デニーロが好きなんですけど、ケンさんも好きで」
ケンさんと聞いて私のなかでパッと思い浮かんだのは、渡辺謙の顔だったのだが、聞いてみると「ケンさんといえば、高倉です」と笑いながら訂正された。
そうか、ケンさんといえば高倉なのか。いまの十代や二十代に「ケンといえば誰?」というアンケートをとったら、いったい誰が栄えある一位にランクインするのだろう。つい余計なことが気になった。
「健さんが好きで、亡くなった時に銀座の追悼上映会に行ったくらいですもん。二〇一四年の年末だったと思うけど。『冬の華』っていう好きな映画をテレビでしか見たことがなくて、スクリーンで観たいなと思って行きました。あのね、白黒時代や『網走番外地』に出てくる健さんは、たぶんみんなのイメージとちょっと違うんですよ。高倉健ってどんなイメージです? 寡黙? 白黒時代はすごくしゃべるんですよ」
私はおしゃべりな高倉健をまったくもって想像できなかった。言われてみれば、たしかに寡黙な人という印象が強い。一九六〇年代からはじまった『網走番外地』シリーズは一度も見たことがない。でも、小さい頃に何度か見た『鉄道員』はなんとなく覚えている。雪が降りしきる小さな駅に、ぽつりと佇む健さんの姿がどこか寂しげで、切ないあと味が残る作品だった。
「僕のなかでは二〇〇〇年頃の『鉄道員』は、おじいちゃんの丸くなった高倉健さん。若者を見守る立ち位置じゃなくて、彼自身が主人公だったのは、やっぱり一九八〇年代。あの︙︙いや、いまこの取材で熱く語ってもあれですけど(笑)。ずっとやっていたヤクザ映画がひと段落ついて、そのあとが一九八〇年代なのね。『駅 STATION』『居酒屋兆治』『夜叉』っていう時になってからがすごく好きになった時代で。『夜叉』と『海峡』は、中学三年の時に見たんですよ。渋いでしょう。クラスに話し相手がいませんでしたもん。『夜叉』はさすがにちょっとわかんなかった。これは足を洗ったヤクザの人の話。『海峡』ってのは、青函トンネルを掘る人の話」
「高倉健が大好きだ!」という思いがものすごく伝わってくるので、なんだか話を聞いている自分まで楽しくなってきてしまう。好きなものがある大人ってなんかいいなぁ。
「健さんから学んだことは多いです。男らしさとか、そういう美意識は、スクリーン上のあの人から影響を多く受けました。たとえば僕はSNSをまったくやっていないんです。わざわざプライベートを出すっていうのが信じられなくて。それに、ちょっと秘めててわかりにくいところがある人って、すごく魅力的じゃないですか。休日やなにもかも全部さらけ出しちゃったら、もっと知りたいと思わなくなるし︙︙っていうルーツは、もしかしたら高倉健にあるかもしれない」
SNSは便利なツールだ。自ら発信することも、誰かの情報を手に入れることも容易にできるが、時には疲れてしまったりもする。それでもなかなかやめられないので、私は高倉健にはなれないのかもしれない。
健さんの出ている映画で、好きなセリフはありますか?と聞くと、「うーん、どれかなぁ︙︙」と、しばらく悩む。
「『駅 STATION』の犯人に向かって『女、大事にしてくれよ』っていうのも好きだし︙︙。でも、健さんはセリフというよりも表情です。こめかみと眉間でしゃべるんです。だから、言わないっていうのが美しいわけで。僕が観た『冬の華』ではね、いろんな経緯があって人を刺し殺すんだけど、振り返ったラストシーンの顔が全部を語るっていうか。本当はこんなことはやりたくないんだけれども、もうギリギリの関係のなかでやらざるを得ない。これからまた刑務所入んなきゃいけないっていう哀愁と、それでもやらなければいけないという意志と。それを全部こめかみと眉間で語るんです。これ、ぜひおすすめです」
社会人になりたてだった時の私の話である。
デザイナーさんの事務所で打ち合わせの休憩中に「眠いんで帰っていいですか?」と聞いたらえらく怒られた。その打ち合わせは、今後の勉強のためにと参加させてもらったのだが、社会人には言っていいことと悪いことがあるということを学んだ。余計なことをポロっと言ってしまい度々怒られる私にこそ、高倉健の映画が必要なのだろう。
私は、もしも誰かに「ケンと言えば誰?」と聞かれた時は、「高倉健!」と真っ先に答えることと、健さんの映画を見ることを決めた。
(文/山岡ひかる/2020.10.26)