やまたび 香港旅行編
その四 にぎやかな街の静かな夜
夕方、一階に降りると食堂だけは開いていた。晩ごはんをどうしようかと悩んでいたからちょうどいい。
とりあえず勘で「炸」と「鶏」という漢字が入っている料理を頼んでみる。きっと鶏料理なんだろうけど、とりあえずおいしくありますように、と願っていると、出されたプレートには手羽先の唐揚げとフライドポテトがこんもり盛られていた。
手羽先はサクサク&ピリ辛、フライドポテトは揚げたて、サラダは黒酢のドレッシングがいいアクセントになっており、どれを食べてもおいしい。中華料理とは程遠かったけど、この旅で一番のごちそうとなった。
夜になると、台風はすぎ去り雨も止んだ。
これなら大丈夫だろうと、私は支度をしてホステルの外へ出てみる。傘、服、割れたプラスチックの破片、折れた木の枝など、さまざまものが道端に落ちていた。ATMが置いてある銀行のガラスは粉々に割れ、天井からはコードが垂れ下がっている。どうやら昨日高級ブランドショップの大きな窓にガムテープが貼られていたのは窓割れ防止のためらしい。マンションなどの窓にもちらほら×が貼られている。
初日の活気が嘘だったかのように、街は暗くひっそりしていてほとんどの店が閉まっていたけど、やっている飲食店やコンビニも数件あり、飲食店の前には長い列ができていた。みんなお腹を空かせているのだ。
コンビニに入って青島ビールのロング缶を三本買ってホステルに戻る途中、大きな木が歩道を塞いで倒れているのと、根元から折れた信号機がアスファルト上で点滅しているのを見つけた。「木をどかさないと通れない」というゲームのような状況が、まさかここでと謎の感慨に浸る。なにかがぶつかったのかタクシーのトランクが壊れて開いていたり、竹で組んだ足場が崩落していたりと、そこかしこに台風の生々しい傷跡が残っていた。
部屋に戻ってオートミールをくれた女性に下手くそな英語でなんとかお礼を伝え、二本の青島ビールを渡すと「一本でいい」に言われ、一本しか受け取ってもらえなかった。でもよろこんでもらえたらしく、「アリガトウ」と日本語で言われた。ちゃんとお礼ができてよかった、となんだか私もうれしくなる。
翌朝の天気は薄曇り。ホステルのチェックアウトが十一時と遅めだったので、少し街を回ってみてからチェックアウトすることにした。お土産でも買えたらいいな、と思ってぶらぶらしてみたが、どの店もまだ開いていなかった。
途中にマクドナルドがあったので店内に入り、混んでいたので席を取るために机に折りたたみ傘とエコバッグを置いてからレジに並んだ。まぁ最悪なくなってもいいやくらいに思っていたのだが、コーヒーを手に持って席に戻ると机の上から本当にその二つが消えていた。
三分ほどしか目を離していないのに! まるで最初からそこになにもなかったかのようだが、たしかに私はそこに置いたのだ。あたりをキョロキョロ見回してみたがもちろん誰がもっていったかなんてわからない。うわ、やられた。こんな出来事ははじめてだったのでかなりショックだった。
が、一方で昨日iPhoneが返ってきたのは本当にラッキーな出来事だったんじゃないか?とも思えてきた。昨日の食堂の従業員たちは最初怖かったけれど、見つかった時は自分と一緒によろこんでくれたし。
ホステルに戻るとチェックアウト前にも関わらず、すでに私の荷物が片付けられていた。部屋にいた無愛想な清掃員と意思疎通を試みてなんとか荷物を取り戻す。
モップで脚元をガシガシ突かれ、「早く部屋を立ち去れ」という無言の圧力に耐えながらなんとか荷物の整理をし、部屋をあとにした。英語さえできれば文句のひとつでも言ってやるのに、ちくしょう!と心の中で悪態をつきながら駅へ向かう。
空港に着き、チェックインカウンターで手続きをする。隣りのカウンターでは、受付のがっしりとした体格の女性ものすごい剣幕で対応していた。どうやら英語ができない日本人とおぼしき客とうまくコミュニケーションがとれず、相当イライラしているらしい。
「お客様は神様」なんて考えが通用するのは日本だけで、外に出ればこれっぽっちも通用しない。ホステルの清掃員だってそうだ。なんだか香港らしい旅の終わり方である。そして、おわかりのように私はまともに英語ができないので手助けもできない。「無事に手続きができますように」と見ず知らずの誰かの幸運を祈りつつ、私は出国ゲートへと進んだ。
成田空港に到着したのは、二十一時すぎ。三連休明けで明日から仕事があるなんて考えたくもなかった。家に着いたのは二十四時近くで、たった三日しか家を空けていないのにもかかわらず、久しぶりに帰ってきた感じする。
そして短い旅だったけど、私はまた世界のことを少し知ることができたような気がしてうれしかった。次はどこに行こう? 南の島でひとりバカンス、なんて最高だろうな。
ちなみにもらったオートミールは、もったいなくていまだに食べられずにいる。
(文/山岡ひかる/2020.9.29)