やまたび 香港旅行編
その一 グローバルスタンダードな塩対応
家を出たのは五時半頃。早朝から雨が降っていた。
土曜日ということもあり、ガラガラの山手線は殺伐としている。夜勤明けなのか夜遊びなのか、何人かは死んだように眠っていて、そのうちのひとりの携帯アラームが鳴り止まず、車両を移動するのも億劫な私はそれをずっと聞いていた。
二〇一八年、九月中旬。灼熱地獄のような夏がやっと終わり、東京はすごしやすくなってきた。飛行機は定刻の十時四十五分頃に成田空港を発ち、香港国際空港に着いたのは十五時頃。機内アナウンスで天候が崩れると聞いて不安だったが、香港に着くと青い空が見えており、私はほっと胸をなでおろした。
前回の台湾旅行では、女性入国審査官がとても感じがよかった。それにに対して、香港の男性入国審査官はくすりともせず、用済みになったパスポートを投げ返してきた。「おいっ!」と思わず内心でツッコんでしまったけど、もしかしてこれがグローバルスタンダードな塩対応なのかもしれない。というわけで彼には今後も有名無名問わず、旅行客のパスポートをどんどん粗末に扱ってもらいたいと思う。
まずは空港で両替をして、オクトパスカードという交通系ICカードを手に入れてから、空港と市内を結ぶエアポート・エクスプレスに乗車した。
香港にはまだ夏が残っていた。
今回はちゃんと現地の天気を調べた(※「台湾旅行編」参照。前回は現地の天候を調べず渡航し、ものすごく後悔した)ので、私はTシャツを着ていたが、それでも暑い。
これから、宿泊する「YHAメイホーハウスユースホステル」へ向かう。
最寄りの駅、深水埗で下車して地上にでると、バ──ン!っといった効果音がぴったりな光景が目の前に広がっていた。ガヤガヤとした雑多な通り、どこかちぐはぐな建物、やたらと主張が激しい看板。「これぞ、香港!」という感じがしてとてもいい。私はカメラを取り出し、夢中でシャッターを切った。
グーグルマップを頼りにホステルを探すと、すぐに見つかった。
フロントの対応が親切で、案内された相部屋は四階の角にあり、広くて清潔。二つの部屋にそれぞれ二つずつベッドが置かれており、奥の部屋はすでに誰かが利用しているようなので、私は外の景気がよく見える部屋の窓際のベッドに横になってみた。うん、寝心地も悪くない。
香港最古の公団住宅をホステルとしてリノベーションし、内装はとてもお洒落でいまっぽい。階段の壁面にはブルース・リー風な絵が描かれていたりもする。
そのうちにお腹が空いてきた。そういえば昼食をまだ食べていない。私は前回の台湾で大きな過ちを犯した。それは適当に見つけた屋台で適当な料理を注文して食べたら、まったくおいしくなかったこと。はじめての海外旅行で食べた料理がこれか……と、とても残念だった。今回は失敗できない。そうだ、日本から持ってきたガイドブックになにか情報が載っているのでは?と思いついてページをめくると、店名とおすすめの料理が紹介されている。しかも近場。これでおいしいごはんにありつけるぞ! 私はすぐに準備をして、ホステルを飛び出した。
目的の店を見つけて入る。こじんまりとした大衆食堂といった雰囲気で、店員がなにか食べながら接客していた。好きだぞ、こういういい加減さ。
注文をして、どんなおいしいものが出てくるのだろうか、とどきどきワクワクしながらしばらく待つと、料理がやってきた。てっきりラーメン的なものを食べられるのと思っていたけど、あれ? なんか思っていたのとずいぶん違う。焼きそばのように炒めた麺の上に、茶色の粉末がまぶしてある、だけ。別でスープも付いてきたけど、なんだかとてもそっけない盛り付けだ。
いやでも、ガイドブックに載っているぐらいだから味で勝負しているに違いない、と食べてみるが、まぁびっくりするほど塩味がない。海老の粉末を使用しているようだが、ぼそぼそしているので喉を通らず、そのくせボリュームが多い。マジか。体にはやさしい味付けなのだろうが、化学調味料やたっぷりの塩分に慣れ親しんだ私にとって、それは到底受け入れ難いものだった。
スープがおいしければこの事態を乗り切れるかもしれない、と一口飲む。こちらもびっくりするほど味が薄くて、独特な甘みのある香りが混ざってとてつもなくまずい。いや、マジか。しばらく格闘したものの、どうにもこうにも食べられない。私は半分ほど食べ、このまま食べ続けたら気分が悪くなると感じてもう半分は残した。
会計をしてくれた女性店員の少し悲しげな表情を見て「︙︙ごめん」と、心の中で謝ってから、私は店をあとにした。
(文/山岡ひかる/2020.9.7)