やまたび
山のてっぺんで凶後大吉

 その高速バスは池袋を22時に出発した。片道2300円と破格なのだが、分相応といった感じで座席は狭くて窮屈。体が伸ばせないし、寒いしで、ほとんど寝られなかった。早朝6時に京都駅に着くとすっかりくたびれていて、着けていたブレスレットがいつの間にかなくっていることに気がつく。残念、無念。あーあ、買ったばかりなのに。

 時は、2020年の3月にさかのぼる。
 コロナがちらほら出始めて外出を控える人が増え、ホテルや高速バスの価格が大きく下がり始めていた。またとない機会である。このタイミングに乗じて行っちゃおうと私はひとり、1泊2日で旅行へとでかけたのだった。目的地はなんとなく決めた京都。それから半月ほどあとに緊急事態宣言が発令されて多くの店が閉まり、街から人が消え、旅行どころではなくなってしまった。

 京都に着いて早々不運が続く。京都タワーの展望台や美術館などはコロナの影響で閉鎖中。それに加えて、外は生憎の雨模様。だが、せっかく京都に来たのだからと楽しまねば。寺や神社は参拝可能なところがいくつかあり、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社も入れるというので、ちょっと行ってみるかとレストランで食事をとったあと電車に乗り込んだ。計画を立てず気ままに歩けるひとり旅が、私はけっこう好きなのだ。

 稲荷駅で下車し、大きな鳥居をくぐって境内へ。立派な本殿を見つつ、お目当ての千本鳥居がある稲荷山へと向かう。鳥居が何百本も連なり、森の中を通る一本の長いトンネルのようになっていた。鳥居にはひとつひとつ個性があり、中には随分年季の入ったものが混じっていたりする。

 全部まわりたくなってしまったので鳥居をくぐって、そのまま続く階段をずんずんずんずん進む。これがなかなか、全然まったく山頂まで辿り着かない。なにせ「千本」鳥居。休憩しながら行きたくても、ベンチは雨でもれなく水浸しになっているし、道すがらのお茶屋さんはオープン前でもれなく閉まっている。もうこれ、登山じゃん、と思いながら急な階段を上るほかなかった。

 稲荷山には薬力社や眼力社など、摂末社と呼ばれる規模の小さな神社がいくつも存在する。さらにそれを囲むように無数のお塚が建てられていて、ミニサイズの鳥居がたくさん奉納されている。きつねの石像もよく見かけた。山全体がそんな感じなので密度がすごく、広さは浦安にある某ランドを凌ぐ87万㎡というのだから、もはや超一大テーマパークといっても過言ではない。雨とコロナの影響でふだんより少ないようだったが、それでも絶えず人はやってきた。

 ひいこらしながらも、山頂の一ノ峰にある上社にたどり着いたので参拝する。おみくじが引けるようになっていたので、ずっしりと重いみくじ筒を持ち、上下にふると二十三番の串が出てきた。近くの掲示板で確認すると、凶のあとに大吉に転じる「凶後大吉」というやつで、いいのか悪いのかよくわからない。いや、どっち、どっちなの!? すぐさまスマホで調べたところ、なんと大大吉、大吉の次にいいということが判明した。苦労してここまできた甲斐があった、と途端に元気になる。ここまでが凶で、この先は大吉的なことがたくさん訪れるはずだ。

 ひと通り見てまわって下山する途中にカエルの石像を発見し、物珍しく思って眺めていると、賽銭箱からお金を回収している地元のおばちゃんが話しかけてきた。「雨なのに人ぎょうさんくるわぁ、行くところあらへんもんな」とやわらさかさのなかにちくりと棘のあるトーンで言ってくる。よくネット上では京都人の遠回しな嫌味がネタにされているが、例のあれが、これなのか? 少したじろぎ、「そうですねぇ」とへらへらする私。観光客がきてうれしいというより、むしろうんざりしているのか? 私の考えすぎか? 疑心暗鬼に陥る。おばちゃんの心が少しでも休まるように、彼女が去ったあと賽銭箱に小銭を入れて、伏見稲荷大社をあとにした。

 旅を終えて3年経ったいまでも思い出すのは、辛くも楽しかった伏見稲荷大社でのできごと。5月に京都に行く予定があるので、そのタイミングで絶対に行こうと決めている。もちろん山のてっぺんまで上っておみくじを引き、あわよくば大大吉を引き当てたい。
(文/山岡ひかる/2023/04/28)