こもごも雑記
「坂はつづくよどこまでも」
標高1100メートルの山の中に家があり、バス通学していたのは私が小学校の時。
夏は鬱陶しいほど緑豊かで虫がうるさく、冬は−10度を下まわるくらい冷え込むという環境だが、一応150人ほどが暮らす集落があって、そこに住んでいた。タヌキ、キジ、ヘビなどのさまざまな生き物の住処でもあり、なんならまれにクマや野犬が出没した。もちろん一軒のコンビニすらないので、買い物をするために下山は必須である。
牧場や養豚場を越えてどんどん進むと、ようやく終点のバス停につく。下車したら、今度は家までずっと続く坂道を上らないといけない。ひとつ年上の兄と一緒にランドセルを背負って、雨の日も風の日もえっちらおっちらと上る毎日。荷物が多く持って帰らないといけない長期休み前は大変だった。なんでも曾祖父が村の発電所勤めで、それでこんな辺鄙な山間に暮らしはじめたらしい。
一度だけ友達数人で小学校から家まで歩いたことがあるのだが、車であればおよそ10分で着くところを2、3時間かけ、どうにかこうにか帰宅することができた。ずっと上り坂でかなりハードではあったが、途中にある牧場に立ち寄って雷鳴が轟くなかで生まれたという2頭のかわいい仔牛を見たりして、冒険みたいですごく楽しかった。私の人生においてトップクラスの『スタンド・バイ・ミー』的体験である。
しかし、成長するにつれて兄や近所の友達と遊ぶことはだんだんと減り、なんでこんな不便な場所に住んでいるのだろう?という不満は増していく。遠くの高校に通うようになり駅まで車で送り迎えしてもらっていたので、バス通学もすっかりしなくなった。このなにもない場所から離れたどこか遠くに行くこう。そうして東京にある大学に進学を決めて、高校を卒業した18歳の時に実家をでたのだ。
兄と一緒に坂を上ってから十数年経ったいま、私はふたたび坂を上っている。
最近、起伏に富んだ丘陵地にある古いマンションに引っ越したのだが(詳しくは「さらば、6年暮らした街」を参照)、ボールを落としたらどこまでも転がっていくような勾配の住宅街を抜ける道を上り切らないと、駅まで辿り着かない。当然ながら自転車で行き来する人もめったにおらず、基本的にはみな歩きだ。
「坂を回避するルートにあるんじゃないか?」と、駅まで行く市バスを使う方法も考えたけれど、それなら駅まで歩いていった方が早かった。住むと健脚になる、というか健脚しか住めない、そういう場所である。
朝の急いでいる時は早足で駆け上がるようにしていくのだが、そうすると息があがって苦しい。冬場、マスクをしているとメガネが真っ白に曇ってくる。途中の電線にはよくキジバトがとまっていて、「デデッポポーデデッポポー」というのんきな鳴き声を聞きながら通勤している。
夜の帰り道にはちょっとしたお楽しみがある。坂の上は高台になっていて下りながら街を一望できるのだが、マンションのあかりが煌々としていて、それがほんの少しきれいなのだ。住宅街はひっそりとしていて人どおりは少ない。夕方であれば赤く染まる空がよく見える。
坂を上っている時に昔のことを思い出して、なんだか懐かしい気持ちになり、思わずコラムを書いてしまった。この先も地元に戻るつもりはないけれど、帰省時に山や川を眺めるとなんだかほっとして、田舎があるっていうのも悪くないと思うようになったのは自分が大人になったからだろうか。そして私は今日も坂を上っている。
(文/山岡ひかる/2023.2.14)